全国大会やオリンピックへの違和感の正体

日本男子バレーがVNLという国際大会で飛躍していて、あれよあれよと驚いている間に日本時間の明日7月1日の3:00にフランスとの決勝戦が行われます。

 

物心がつく頃には、野球やラグビーなどの部活とは別にバレーボールへの愛着が湧いていて、これまでの日本男子バレーが今の強さに至るまでの過程をミーハーなりに見届けてきたつもりです。「ブラジル首位独走時代」「世界ランク10位はもちろん、20位からもはみ出る日本」を見てきた世代のため、どの国も「日本はやばい、強い、すごい」と一目置く日がまさか来るとは思ってもいませんでした。

 

パリオリンピックが本命ですが、決勝で強豪フランスとどこまでやり合えるか(予選では勝ってますが)に期待したいです。

 

 

とまぁ、ここからが本題で。

 

野球だと夏の甲子園、バレーだと春高バレーラグビーだと花園、サッカーだと冬の選手権でしょうか、高校のスポーツには基本的に全国大会があります。自分の人生とこれまで関わりがあったチームが成績を残すとウォー!とちょっとだけ白熱する一方で、「でもチームメンバーのほとんどが地元の人じゃなくない?」と興醒めしてしまう自分がいるのも確かで。

 

大人になってから行われる世界大会やオリンピックにも言えることでして、「その国の国民だけで構成されたチームで結果を残す」が大前提ならいいのですが、実際はそうじゃないのが現状です。「わざわざ国別にする必要ある?」とさえ思うことも。

「勝ちゃあいいの、細かいのは後回し」がまかり通っていることに、小さい頃から違和感を覚えているわけであります。

 

とはいえ、歴史をひも解くと植民地や移民などなど、いろんな事情があり、今さら「純正な国民で大会出場を!」と訴えるのもお門違いです。

 

でも、「国の代表選手」として出るのであれば、何かしらの基準は設けるべきです。

 

・その国の言語をネイティブ並みに話せること

・その国の国籍を15年以上保持し、なおかつ国内の大会で結果を残していること

など。

 

少し条件が厳しめかもしれませんが、国としてのアイデンティティを重視するならこれくらいは求められても仕方ない気がします。

 

なんてことをぼくは思ってたりしますし、話したりします。