今年の高英研と司会を務めていて感じた率直な感想

今日は午後に実施された高校の英語部会に参加してきました。午前にあった全大会の方は年休をとって欠席、ネカフェで3時間ほど中間考査を作ったり自分のための勉強をしたりして過ごしてました。これはこれでかなり有意義でした。

 

午後は講演会の司会を任されていたということもあり、受動的に参加、とはいかず。最後の質問で誰も挙手しなかった場合に備えて、講演会をずっと集中して聞き、いつでも質問ができる状態にしていたため、内容がすごく頭に残っている。

 

講演の内容がかなり興味深いものであったため、質問は途絶えることなく、自分が出る幕はありませんでした。これはこれで良かった。司会者じゃなくても飽き性の自分が引き込まれていた、そんな内容。

 

ALTと自分が担当しているディベート&ディスカッションの授業を、今後はどうテコ入れしていこうか考えるきっかけになりました、それも今よりももっと意欲的に。英語科のみなさんと、「あの高校ではああいう実践をしてるけど、自分らの授業にはなにをどう取り入れることができるか?」を話すための素地を耕すことができた、そんな時間でした。みんなが見てたわけだから、共通の知識があるかないかではだいぶ違う。

 

 

司会業務の方は、もともとスクリプトをもらっていたので、ゼロから考える必要がなく、基本的には用意されたものを自然に読み上げるだけ。そこに「自分らしさ」を入れるために多少アレンジを加えたり、アドリブで指示をしたりと、そんな感じ。

 

 

唯一救われたなぁと思ったのは、講演会中に課される近所でのグループワーク。3~4人1グループになって交流する活動ですが、教師をしていてもやっぱりこれは好きになれない。

 

その理由の一つに、「そもそもガヤガヤしてる場所で話すのが苦手」というのがある。話すこと自体は好きなのだけど、大勢が集う場所で「じゃあ話してみて」とされると、十中八九、まわりがうるさすぎて相手の話が聞き取れない。分かった風で話を進めていくも、「この聞き返しで合ってるかな…?」という一抹の不安がずっとぶら下がったまま進めることになり、その気持ち悪さがどうも苦手で。

 

実際に、前半の講演会で2人のALTと話し合い活動をしましたが、途切れ途切れで居心地が悪かった。

そういう点では司会はそういう活動に参加せずに済むのでありがたかったです。やはり話し合い活動は、ある程度静かな場所でないと。

今日はゆっくりしよう

明日は午前に高教研、午後に各教科部会があり、学校はお休み、生徒は家庭学習デイ。

 

午前の方は思い切って休むことにしました。午後の会にだけ参加。司会が割り当てられてなかったら丸一日休みにしていたのですが、こればっかりは仕方ない。

 

イージーデイ。

どこに注力するかだし、どう魅せるかだし

教育課程の会議に出ていて授業数ウンヌンカンヌン話していて思うのは、「週の授業コマ数はぶっちゃけお任せするよ」ということ。

 

多かろうが少なかろうが、何コマであっても、「自分はその手札でうまくやるよ」というのが本音のため、「うちの科としては最低○コマ欲しい」という野心的なのが正直ない。もちろん自分以外の他の先生方はぼくと違ってまた別のビジョンとかスタンスとかあるから、「おまかせ」はきっとないんだろうなと。

 

 

たぶん、教育観の根底に、「先生が教えなきゃ」というのがないからだろうなと。大多数が「自分がなんとかしなきゃ」という責任感とか義務感とか使命感があるわけですが、「結局は集団じゃなくて?」という観が自分にはあるから、コマ数に関しては野心的になれないのかと。

 

 

もっと言えば、先生がいなくても学び続ける環境設定とか心理的アプローチとかが大事なわけで、それには週のコマ数とかはあまり関係ないと思います。

 

 

また、その教科を使って毎日楽しそうに仕事して、その状況を生徒に積極的に見せるのが大事なのかなって、授業外でも授業内でも。

それこそ英語だと、日々ALTと話しそうに会話してるところを見せれば、響く生徒には響くでしょうし。もちろん全員に響かせるってのは不可能だし、そもそもそういうシーンを見せなくてもどうでもいいところでときめく子もいるだろうし。

 

 

そういう点では「教師の力量」が問われるわけですが。

 

 

なんてことを会議中に考えてました。

今週の振り返り

たった2日しか勤務していない今週を振り返ります。

 

(木)(金)と働いてすぐ週末に入ったのは、これはこれですごく好きだったなぁ。5連休明けに3日以上働くのはきつかっただろうから、本当ナイス配置。

 

 

この週末は久々に家族と一日中いっしょに過ごせました。部活を始め、何かしらの予定が入っていたこれまでの週末は、何かに追われ続けていたそんな感じ。

朝は息子と一緒に卵焼きを作って一日が始まり、日中は家族でどっかに出かけ、夜は食卓を囲み3人で夕飯。そして夜は川の字で寝る。

 

昨日なんかは、1カ月以上ぶりに家族でスーパーへ行き買い物をすることができました。「この感じ、懐かしい」とすら思えました。部活がないテスト期間限定の週末を堪能することができました。これも残り1週間。

 

 

そういえば、先日観た『我々は宇宙人』がずっと頭の中に残っている。「次はいつ観に行こうか」と本気で考えてしまうくらいに病みつき。隙間時間にYoutubeに載っている予告を観ちゃうくらいに。

二郎を食べて具合悪くなって、でも2日後にまた行きたくなるあの感覚と似ているようで、でもちょっと違うような。いや、それとはだいぶ違う。

 

 

DVD化されるのは4~6か月後。待てない気がするなぁ。あの感動をもう一度味わうために最低もう1回は行きそう。この感じ、初めてかもしれない。

『我々は宇宙人』を観て

『我々は宇宙人』を鑑賞してきました。

 

Youtubeで予告を目にした瞬間に、「あ、これは絶対みなきゃ」という衝撃が走り、上映日に映画館へ。

 

タッチが印象的(デッサン風かつ鉛筆画)なのに加え、物語は登場人物たちの少年時代から大人になるまでで、その少年時代がまさにぼくが生きていた平成。

 

ポケモンの宇宙人キャラであるデオキシス。進研ゼミのマスコットキャラクターのコラショ。ガラケー。傘を強く振ってひっくり返す遊び。鍵っ子。小学生のときに感じていた月がずっと追いかけてくる恐怖感。ファミレスでのたむろ。

 

懐かしい要素で埋め尽くされていた映画。

 

また、少年時代に経験した「言葉足らずによるすれ違い」も、かなり丁寧にかつ生々しく描かれていて、当時の感情がブワーっと一気に押し寄せてきた瞬間もあり、自分でもビックリ。自分にもあったなぁ、こういうことってそこはかとない哀しさも芽生えた。

 

 

タイトルにある「宇宙人」の捉え方は観る人それぞれなのかなって。

 

 

誰しも興味の対象として見られている間は好印象。相棒という関係性ですらいられる。でも、一線を越えて心理的にも物理的にも距離が生まれたときに、お互いを遠い存在に認識し、宇宙人のようなものに変わってしまう。なんて観終わった後に考えました。

 

 

ぼくのことだから、たぶん、いつでも観れるようにDVDとか買っちゃうんだろうな。それくらい何度でも観たい映画でした。

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