好きになるために必要な条件

小中の部活動は野球部に所属してました。高校はラグビー。で、大学はバレーボール。

 

これまでバラバラなスポーツをやってきてますが、今さらながらなんでかそうなったんかなぁと振り返ってみる。

 

小学校で野球を始めたきっかけは「昔からジャイアンツ(巨人)をテレビで見ていたから」「1つ上の兄がやってたから」です。

ただ、そのときの野球は楽しむというよりも、当時の鬼コーチにガチギレされずにどうやってやり過ごすかを必死に考えていた2年と数カ月間でした。ミスがあればバットのグリップで頭を叩かれるわ、押し倒されるわ、今じゃ完全にアウトな指導を受けてきました。でも、ミスをしないようにするために、張り詰めた空気の中で練習できたので、それなりには試合で活躍できました。

 

中学校は惰性です。小学校のときにやってたから今さら辞めるわけにも、という浅い理由です。ただ、この時点で「高校でも続ける」という選択肢はなかったです。

高校野球は坊主と決まっていたので、「なんで坊主やねん!」という理不尽さに呆れていたのが理由です。あとは、ぼくが行こうとする高校には硬式野球しかなく、デッドボール喰らったら痛いしたまったもんじゃないという理由も付け加えておきます。ただ、振り返れば、高校で始めたラグビーの方が競技的にコンタクトが圧倒的に多かったし、顔面や腰、脚の怪我もしていたので、当時の自分がなぜラグビーを選んだのかは不思議です。

ただ、中学校の野球も、先生に怒られずにプレイするにはどうすればいいかを意識してたので、野球を楽しむという目的は達成できませんでした。

 

高校で始めたラグビーも、やはり心の底から楽しめなかったです。コーチに怒られずにどれだけうまくやり過ごせるかに舵を切っていました。

 

どうしても立場が圧倒的に上の人がいちゃうと、顔色をうかがいながらプレイしてしまう性質がある自分。スポーツを心の底から楽しむ余白はないわけで。

 

大学で始めたバレーボールは、「年齢的に先輩」「経験値的に先輩」という、自分より立場が上の人は確かにいましたが、「圧倒的に」ではなかったです。それまでの絶対王政チックな人はいなかったですし、「親しき中にも礼儀あり」という関係性を保ちながらフラットに関わることができたので、バレーボールというスポーツそのものを楽しみながらプレイできました。自由なプレイも許容されていました。

だから、社会人になった今でも、時間があるときは社会人チームに混ざってバレーを続けることができていました。高校に異動してからは部活がメインになりましたが。

それも、バレーというものを好きになれたから。

 

組織の中で「自分はどのくらいの自由が保障されているか」

その条件がマッチしてはじめて自分は何かを好きになるスタート地点に立てるんだろうなって。

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