殊お金に関してはマインドマップが救世主

これまでどんな本も読みっぱなしでした。「頭の中に記憶されている=印象深かった」、「記憶にない=どうでもいい内容だった」という認識で、とりあえず読み終わったら、ブログに感想を書いて、本棚にしまうという流れ。

 

小説とかはそれでいいと思うんです。数年前に読んだ小説なのに今でもわりと鮮明に記憶されているのが、西加奈子さんの『サラバ!』シリーズ。かなり好きな世界観でした。そんな感じで自分に合った小説はずっと残り続けます。

 

自己啓発系もかなり読んできましたが、あまり記憶に残っているものはありません。断片的に「OOするのが大事なんだよね」と覚えている程度。

 

小説や自己啓発系はそれでいいと思ってます。要は「そのときにどっぷり本の世界に浸れる」「頭の中で理想の自分を追い求める」のが目的になっているので(少なくともぼくはそう)。

 

でも、継続的に知識を蓄えているお金の本に関しては、そうはいかないよなと思っていまして。ただでさえ難解な上に、単語やその意味が頭に入ってきにくいったらありゃしない。かといって、紙にメモしながら読み進めていくにしても、書くことで手が疲れるし、別々の本で得た知識をつなげることがぼくにはどうも難しい。なんだろう、全体像を脳内に描きにくいというのが個人的な悩みだったりします。

 

「世界地図でいろんな国々の位置を把握したい」のに、「これがアフリカ大陸で、これがユーラシア大陸と、、あれ、待てよ待てよ、ケニアってどこにあるんだっけ?」と混乱してしまうような感覚に近い気がします。そして、止めどなく新しい情報は蓄えられていく。。

 

そんなとき、3年前になぜか衝動買いしたマインドマップのソフトの存在に気づく。この間までデスクトップの隅っこに佇んでいたソフトですが、うまく活用すれば頭の中をかなりきれいに整理できます。それこそ全体像を把握しやすく、自分には合っている気がします。新しい情報も自由自在にカスタマイズしたり、追加できたりします。紙だと煩雑になるのは間違いないです。

 

こんな調子で、お金の知識をなんとか積み重ねていっている昨今。適度にアウトプットをしながら様子を見ていこうと思います。

クリームチーズは「買う」から「作る」へ

クリームチーズは久しくスーパーなどで購入しておりません。そのかわりに、ヨーグルトと小さじ2くらいの塩こうじを混ぜて、ガーゼ代わりに、何度も洗って使えるペーパータオルに流し込み、さらにザルの上へ。

冷蔵庫に2日ほど放置したあとに取り出すと、見た目も味もビックリするくらいに再現度の高いクリームチーズの完成です。

レシピは「塩こうじ ヨーグルト」で検索すればいくらでも出てくるので、興味のある方はぜひ調べてみてください。

120円ちょいで完成するクリームチーズ、かなりコスパいいです。

 

妻は朝食に、クリームチーズ×オリーブオイルをトーストにのせておいしいおいしい言いながら食べてます。ハマる人はハマる、そんなレシピ。

 

ヨーグルトは水切りすれば、ホエーという液体が生まれます。

ホエーは、カゼイン(牛乳から乳脂肪分や主要なたんぱく質)などを除いた液体のことで、「乳清」とも言われいます。

 

ホエーに含まれる栄養素はざっとこんな感じ。
・タンパク質(タンパク質のラクトフェリンは、鉄分と結合して体内に吸収されやすい)

・カルシウム

・ビタミン

・ミネラル

必須アミノ酸(体内では作り出せない)

・乳酸菌

 

また腸内の善玉菌であるビフィズス菌を増やしたり、内臓脂肪を低減させたり、ホエーに含まれる水溶性タンパク質やビタミン、ミネラルなどは、美容効果が期待できる栄養素のようで。

 

要は捨てるのは勿体ない貴重な液体です。

 

一回のクリームチーズに100mlほどのホエーが生まれるので、ぼくはそれを使ったカスタードを作ってます。卵や小麦粉、少々の砂糖とバターを混ぜてレンジでチンすれば、かなりサッパリしたカスタードの完成です。いつもカスタードを作るときは、本格的なバニラビーンズを使っていて、大量の砂糖を投入してました。また、鍋を使った調理だったので、かなり手間がかかります。その分、味はもちろんおいしいのですが、毎回「さて、作るかぁ..」と重い腰を上げていました。

 

でもこのホエーカスタードは、気楽に作れて味を堪能できる上に、残り物で生まれた一石二鳥レシピ。料理がさらに楽しくなります。

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今週の振り返り

今週を振り返ってみます。

 

子どもが、特に自分の顔を見ると声を上げて笑うようになりました。これまでも笑いはしていたのですが、より顕著になったような気がします。

生後3~4ヶ月ごろになると人の顔を認識できるようになること、新生児(生理的)微笑から社会的微笑へと成長していっていることが理由だと思われます。

 

ぼくら夫婦の笑い声や、ブシュ―とかシューなどの口による効果音だけ発しても笑うことが多々あります。聴覚も成長していってるようで。

 

木曜日は学校に行って久々に外部の人と関わることができて楽しかったです。実は行くまで億劫に感じていました。久々の勤務先、生徒、同僚。変にドキドキして「嫌だなァ」と正直思ってました。

お盆に行われる親戚同士の集いと同じ感じだと思います。子どもの頃は本当に嫌だった。どう取り繕っていいかわからない、あの居心地の悪い空間といったらもう。少年時代特有の感情です。

 

でも、実際に顔を出せて良かったし、不思議とリラックスできました。「また行ってみたいな」と内心思いつつも、頻繁に行ったら「あいつ暇してる」とか「かまってちゃんやん」と思われるだろうから、出し渋りといいますか、そう簡単には行かないようにしようと思ってます。変なプライドですこと。

 

今日は、妻が任天堂Switchの桃鉄を県外の友人らと電話しながらオンライン対戦するということで、自分の部屋で子守しながら午後は過ごしました。ものすごく楽しそうにゲームをしていることがリビングから漏れ出る声色でわかったので良かったです。

こういう持ちつ持たれつな子守は大事だと思ってます。家族と言えど、各々自分のためのまとまった自由時間は、日常の中に確保されるべきです。可愛い我が子の子育てとはいえ、リフレッシュは欠かせません。

 

おあいこと言っちゃなんですが、明日は自分のしたいことが午前中にあるので、子守をお願いしています。ギブアンドテイク、大事っす。

 

巷では、この時期はベビーパンが撮れ時らしいですね。映えます。

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久々に雑記

今日はかなり久しぶりに昼寝をしてしまい、さきほど起きました。「6時前に起きて散歩」を今週はできている反面、その分睡眠時間も削られていたのに加え、今日は子どもの撮影のためだけに購入した離乳食の菓子パンを昼に食べたことで一気に眠気がきました。

 

たまにいいよねと開き直りつつも、「あぁ、あの本読み終わりたかったのに」と少し焦りを覚えています。

 

とは言え、徹夜しちゃうと明日の朝起きれなくなっちゃうので、今日は今日、明日は明日と割り切って残りの時間を過ごしたいです。

叱る前にまずはシステムエラーから見直したい

昨日の体育大会を見ていて、自分の高校生時代をふと思い出しました。

 

6月には体育大会(となっていますが、競技種目はバレーボール、サッカー、ソフトボールなどなど、内容的には球技大会)があり、9月にはリレー、綱引き、ムカデ競争、そして母校独自の音頭というようなラインナップで運動会が行われていました。

また、7月には文化祭があり、全学年全クラス学級ステージがあって、これはこれで青春でした。

 

思い返すと、異装(規定にはずれた服装)でこっぴどく叱られていた生徒はほとんどいなかった気がします。少なくとも、全校生徒を対象に注意を受けてはいないはず。母校が校則にはちょびっとだけ緩かったからなのかしら。と書きつつも、年2、3回くらい服装検査がありましたが、あれは形だけ。毎日短めの学ランで過ごして、検査の時だけ正常なものに着替えてぼくは臨んでましたし。懐かしい話。

 

そうそう、昨日の体育大会では、異装指導で結構いろいろあったということを一人の先生から聞きました。プログラム後半に控えていた応援合戦に備えて、最初の段階から異装(特に髪型)で臨んでいたそうな。おそらく家でセットしてきたんだと思います。昨年も体育大会の序盤に指導が入っていたのを思い出すと、どうやら「毎年恒例」の時間となっていることを察します。

 

原因はなんだろうと考えてみると、「生徒の自己顕示欲を強めさせる仕組み」が大会プログラムの中で自然と働いているからなのかもしれません。

 

自分が勤める自治体(というか近隣県も?)には、体育大会の中に先述した応援合戦というものがあり、これ自体は何も珍しくはないのですが、それぞれの組(赤組白組みたいな)の選抜された代表者10名くらいには応援合戦中の異装が認められています。それ以外の大多数の生徒(代表生徒たちのうしろで踊ったりする)は認められていないというより、「する必要がない」ため、基本的に異装はしません。

 

異装で注意を受ける生徒は決まってそういった応援団に所属しています。

 

注意せざるをえない仕組みになっているから、そもそもの「ベース」を解体しない限りは、良くも悪くもこの伝統は受け継がれるのは間違いないでしょう。

 

大前提として異装をする生徒が悪いのには変わりありません。「応援合戦のときだけ異装可、それ以外ではダメ」というあらかじめ提示されたルールを無視し、「自分らが楽しけりゃいい」という自己中心的な思考でしれーっと体育大会に参加しているのがそもそもおかしな話です。

「社会に出ても、そんな感じでルールを捻じ曲げてやっていくつもり?」と教員側が注意したくなる気持ちはわかります。

 

ただ、ぼく個人としては、「一方で、、」とも思うわけであります。学校側が設定しているルールだと、「少数の中心的存在」と「大多数のそれ以外」で構成される組織が許容されるので、一種のやりたい放題が自然発生しても仕方ないのかなと思います。

 

学校側がいくら注意しても、いくらペナルティを設けても、残念ですが改善はされても解決はないと思います。「とは言っても、ルールはルールですから、生徒に守らせないと!」と強引に指導することを繰り返した結果が「今」という事実を踏まえれば、生徒たちに変わってもらうことを信じ続ける前に、まずは学校側のテコ入れ(再整備)をしてからでは?と思います。そのうえで「さぁ、任せたぞ!」という段取りが適切です。

 

ぼくが異装に関して全生徒に指導する立場になったとしたら、「その前に体育大会の在り方を見直しませんか?システムエラーが過ぎますよ」と職員に言ってしまう気がします。見直しが行う姿勢が見られないのであれば、異装指導はぼくからはしないと思います。建て前がベースの指導ほど胸が苦しくなるものはありません。

 

なんてことを応援合戦を観ながら考えていた30分間。集中して観れていなかったのはここだけの話。

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