叱る前にまずはシステムエラーから見直したい

昨日の体育大会を見ていて、自分の高校生時代をふと思い出しました。

 

6月には体育大会(となっていますが、競技種目はバレーボール、サッカー、ソフトボールなどなど、内容的には球技大会)があり、9月にはリレー、綱引き、ムカデ競争、そして母校独自の音頭というようなラインナップで運動会が行われていました。

また、7月には文化祭があり、全学年全クラス学級ステージがあって、これはこれで青春でした。

 

思い返すと、異装(規定にはずれた服装)でこっぴどく叱られていた生徒はほとんどいなかった気がします。少なくとも、全校生徒を対象に注意を受けてはいないはず。母校が校則にはちょびっとだけ緩かったからなのかしら。と書きつつも、年2、3回くらい服装検査がありましたが、あれは形だけ。毎日短めの学ランで過ごして、検査の時だけ正常なものに着替えてぼくは臨んでましたし。懐かしい話。

 

そうそう、昨日の体育大会では、異装指導で結構いろいろあったということを一人の先生から聞きました。プログラム後半に控えていた応援合戦に備えて、最初の段階から異装(特に髪型)で臨んでいたそうな。おそらく家でセットしてきたんだと思います。昨年も体育大会の序盤に指導が入っていたのを思い出すと、どうやら「毎年恒例」の時間となっていることを察します。

 

原因はなんだろうと考えてみると、「生徒の自己顕示欲を強めさせる仕組み」が大会プログラムの中で自然と働いているからなのかもしれません。

 

自分が勤める自治体(というか近隣県も?)には、体育大会の中に先述した応援合戦というものがあり、これ自体は何も珍しくはないのですが、それぞれの組(赤組白組みたいな)の選抜された代表者10名くらいには応援合戦中の異装が認められています。それ以外の大多数の生徒(代表生徒たちのうしろで踊ったりする)は認められていないというより、「する必要がない」ため、基本的に異装はしません。

 

異装で注意を受ける生徒は決まってそういった応援団に所属しています。

 

注意せざるをえない仕組みになっているから、そもそもの「ベース」を解体しない限りは、良くも悪くもこの伝統は受け継がれるのは間違いないでしょう。

 

大前提として異装をする生徒が悪いのには変わりありません。「応援合戦のときだけ異装可、それ以外ではダメ」というあらかじめ提示されたルールを無視し、「自分らが楽しけりゃいい」という自己中心的な思考でしれーっと体育大会に参加しているのがそもそもおかしな話です。

「社会に出ても、そんな感じでルールを捻じ曲げてやっていくつもり?」と教員側が注意したくなる気持ちはわかります。

 

ただ、ぼく個人としては、「一方で、、」とも思うわけであります。学校側が設定しているルールだと、「少数の中心的存在」と「大多数のそれ以外」で構成される組織が許容されるので、一種のやりたい放題が自然発生しても仕方ないのかなと思います。

 

学校側がいくら注意しても、いくらペナルティを設けても、残念ですが改善はされても解決はないと思います。「とは言っても、ルールはルールですから、生徒に守らせないと!」と強引に指導することを繰り返した結果が「今」という事実を踏まえれば、生徒たちに変わってもらうことを信じ続ける前に、まずは学校側のテコ入れ(再整備)をしてからでは?と思います。そのうえで「さぁ、任せたぞ!」という段取りが適切です。

 

ぼくが異装に関して全生徒に指導する立場になったとしたら、「その前に体育大会の在り方を見直しませんか?システムエラーが過ぎますよ」と職員に言ってしまう気がします。見直しが行う姿勢が見られないのであれば、異装指導はぼくからはしないと思います。建て前がベースの指導ほど胸が苦しくなるものはありません。

 

なんてことを応援合戦を観ながら考えていた30分間。集中して観れていなかったのはここだけの話。

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