あとで揶揄されないための予防線と忌み言葉という文化

日本人として思うのは、自分たちはその場にふさわしくない、縁起の悪い言葉を指す「忌み言葉」にものすごく敏感だなぁということ。

結婚関係では「スタートを切る」とか「再会」、受験関係では「落ちる」とか「滑る」など、そういった言葉はタブーになります。

 

ものすごく縁起を気にする国民性です。と言うか、海外でもきっとこういうのはあるので、「人間は」と一括りにしてしまってもいいかもしれません。世界にはなおも100以上の孤立している部族があるそうで、そういったコミュニティにも忌み言葉的なのがあるのかなと考えると、ちょっとおもしろい。言語学者も未だ発見・解明できていない言葉を使って、「お前さ、こんなときにその言葉使うなって!」というやりとりをしているシーンを想像すると、楽しいもので。

 

でも、こういう忌み言葉やタブーってのは、「あとで周りから揶揄されないために存在しているんだろうな」と個人的には推測してます。

 

「あぁ、あのときのスピーチで使われていた言葉通りの結末になったよ」

「OOだけに、ね」

みたいな。

 

それこそ東京都は港区にある「カレッタ汐留」という高層商業施設。

現在、汐留自体がゴーストタウン化しているため、この施設はテナント募集が多く、施設内はガラガラになりけているそうな。今では「枯れた汐留」と揶揄されているんだとか。

 

 

という気づきでした。