大人になる前に身についていてほしい文化

我が家には暗黙のルールがあります。決して「こうしよう」と妻と一緒に決めたものではなくて、自分の方から率先して行うことで作られていった文化みたいなもんです。

それは、「料理の感想を言う」というもの。

 

子どもの頃、ぼくは父や母が「これやれ、あれやれ」と、家事をあまり強制してこなかったというのもあり、大学生になるまでは、洗濯をたたむ、皿を洗うというような基本的な家事すら、率先して行うことはありませんでした。今は好きな料理に関しても、母のアシスタントになるのは年に数回程度。

 

朝ごはんや夜ごはんは、食卓に出てきて当たり前とすら思っていました、母はぼくの家族なんだから、と。そして成長するにつれて、反抗期ということもあったのでしょう、いつしか母のつくる料理に対して自ら感想を言うことはなくなり、黙々と食べるようになりました。そうなると、食卓にはテレビの音だけが響き渡る。

 

たまに父が、キッチンにいる母に聞こえるように「ごはん旨めぇか?」とぼくら兄弟に聞いてきました。「うまい」「おいしい」という生の感想を母に届けようと気を遣ってくれてたんだと思います。今思えば不自然な雰囲気極まりなかったなと思います、言わされている感が拭えないので。母はあまり良い気分じゃなかったことでしょう。

 

高校を卒業し、家を出て、大学生、大学院生、社会人といろんな成長段階の中で、家族以外の人に料理を振る舞うことが増えました。数年前からは妻と同棲するようになり、毎日何かしら作っています。

 

この過程の中で、はっと気づかされたのは、「おいしいねって言われることが何よりうれしい」ということでした。

「ご飯に合う味してるわ」「この塩っ気がたまらないね」「今回は紫蘇いれたんだね?」と、感じたこと、気づいたことをたった一言二言でもいい、食べてくれる人がそうやって伝えるだけで、作った人としては報われるといいますか、作って良かったなと思えるし、毎日料理をつくる原動力にもなります。

逆にそういうのがないと萎えますし、「作ったもんを振る舞われて当たり前と思っとんか?」と不機嫌になります。

 

まあ、ぼくの場合は料理自体が好きなので、感想の有無に関わらず作り続けますが。

 

こういった原体験から、料理に限らず、何かしてくれた人に「気づいたこと」「変化したこと」「ありがたいと思ったこと」を、一言でもいいので相手に伝える、という習慣は本当に大事にしたいものです。

変化に敏感になり、情報収集ができるようになるであろう我が子にも、その文化が当たり前になってくれればいいなと思います。ぼくみたいに大人になってからではなく、子どものうちから、自然とそういうふるまいができるようになってほしいですね。

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