内職の良い面と悪い面

期末考査という大きなテストが近いこともあり、自分の学年では「勉強しないと」という雰囲気があります。大人になった今、改めて考えると、定期考査はそこまで対策する必要のないものだったなと思ってます。

理由はシンプルで、「日々の授業の中で『わからない』を作らなければいい」だけの話なので。定期考査期間に地獄を見る人の特徴としては、ほとんどの人が該当しますが、「『わからない』という負債を抱えた人」であり、「『わからない』ことを棚にあげてきた人」です。

 

「わからないことがある」という状態を気持ち悪いと思えるようになれば、定期考査だぁ大変だぁと騒がずに済むのにね、なんて思うのです。

 

とはいえ、自分も含め、なかなかそうはいかないもんです。

大人になった今、深く追求しないにしても、与えられたものでわからないことがあると、なるべく調べるようにして、「わからない」という状態を最小限にしています。

 

学生の頃は「わからない状態でいる」ことが当たり前だったので、定期考査は本当に苦戦してました。でも、子どもの頃から、「わからない状態」に違和感や不快感を持てるようになると、勉強との向き合い方はまた変わってくるのかなと思ってみたり。

「全てを知ろうとする」ことは負担がすごいので加減が大事になってきますが。

 

 

「わからないことを放置」といえば、最近、生徒が「授業中に別の教科を勉強する」という事案がいろんな教科で発生しています。国語の時間に数学、英語の時間に化学を、などなど。切羽詰まっているのでしょう、いわゆる内職です。ぼくの授業も例外ではありません。教科の先生によっては、職員室に呼んできつく注意する場面も。

ぼく自身、そこまで問題視していません。

むしろ、「この時間はこの教科を!」という枠は煩わしいとさえ思っているので。ある意味、内職の常態化を理想としているのかもしれません。そうなると、それは内職と呼びませんが。

 

ただ、「せっかく作った課題をやってもらえないのは正直堪えるかな、こんなふうにいつも軽く、今日はこんな課題を作ってきましたー、どうぞーと話してますが、結構一生懸命作ってるのよ。この問題、生徒の力になるよなぁなんて思いながら夜、家で作っててね」なんて授業の最初に話したら、内職しがちの子が今日は一生懸命に自分の課題プリントをやっていました(笑)

 

今回は「周りの生徒らのためにこの課題をやる」というより、「先生のため」感があったので、複雑ではあります。

それに、普段勉強しない子が、なにかをきっかけにしてめちゃくちゃ勉強するようになりました。夢中になっている子もいます。他の教科で内職してしまうくらいに。

 

「ついに目覚めたか」と興奮する半面、「でも、教科の先生の気持ちも考えてほしいよね」という、二つの感情が入り混じります。

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