教育とは何かなって

教育とは何かを考えてみます。

 

直近で「確かになぁ」となったのは、Voicyで税理士の大河内薫さんが言っていた言葉。直近と言っても、半年くらい前に聴いたものなんですが。

 

「教育は砂漠に水を撒くようなもの」

どんなに水をいっぱい注いでも直後に乾く様は、すぐに効果を実感できない教育と似ています。咲くかどうかもわからないけれども、ひたすらに種を蒔き、水を与え続けないことには、何も変わらないのも事実でして。

 

これは「涓滴岩を穿つ(けんてきいわをうがつ)」ということわざと似ていて、「わずかな水のしずくも、絶えず落ちていれば岩に穴をあける。努力を続ければ、困難なことでもなしとげられる」というものです。

 

学校では「果たしてこれ意味あんのかな?」「生徒たちに伝わってんのかな」となる瞬間が多いこと多いこと。もどかしさ三昧で、途中で散水用具のじょうろを投げ出したことも実はありました。「やってられるか!」と。

 

それこそ去年の授業実践では、生徒集団の成長のプラトー期に悩まされては焦り、たまらずストップをかけたこともありました。短期的な視点でしか状況を捉えることができなかった自分でした。

でも比較的時間のある今なら、冷静にあのときの状況を見つめることがきるし、「もっとこうしておけばいいのさ」「気楽に行こう、気楽に」と、過去の自分にプランナーのように提案することができるわけでありまして。

 

でも現場に戻れば、得体の知れないそのときの環境に巻き込まれて、気づけば蟻地獄のような場所から抜け出せれなくなっていることも大いに予想できます。

 

ただ、去年を振り返れば、高校というこれまた異空間に翻弄され、浮かれ、気づけば軸がぶれていたのも事実です。次は、地に足のついた行動といいますか、ONとOFFの切り替えを徹底した上で、もっとこう、途中でじょうろを投げ捨てることをせずに、ずっしりと構えて、しぶとく生徒集団の成長を見届けたいです。

Dry Soil Of A Barren Land With Single Growing Plant And Watering Can Stock  Photo, Picture and Royalty Free Image. Image 20234597.