学校から特にお知らせや連絡はこないのですが、去年の流れを思い返せば、たぶん、この時期がまさに教育実習期間のはずです。今年は何人くらい来てるのかしら。
昨年は、HR担当のみで、教科担当は特になかったので、付きっきりで指導なんてことはありませんでした。指導案の添削もなく。そういえば、久しく指導案に触れてないのですが、ぼくは大丈夫なのかしら。もはや忘れつつあります。
そんな教育実習も終盤に差し掛かったころ、研究授業を終えて肩の荷が下りた実習生2名から、「先生の授業、今日見に行ってもいいですか?」と朝に聞かれたので、「ぜひ!」とお答えしました。
『学び合い』は4月から行っていたので、見てもらえるチャンス到来だと内心張り切ってました。
でも、おそらくその実習生は、ぼくにエンターテインメントな授業を期待していたんだと思います。トーク&チョークがメインだけどもアクティブラーニングを取り入れた、まあ、「見ていて楽しいもの」でしょうか。言ってしまえば、参観者が「楽しめる」授業をぼくに求めていたのだと思います。
でも、『』って生徒主導で教師はメインじゃないです。それにそのときの授業では、15分くらいは生徒が自力で課題に取り組む雰囲気になっていたので、立ち歩き等はすぐには起きませんでした。それもあってか、微妙な反応を教室後方から感じてました。
授業の最初に課題プリントを渡して、40分間、生徒に「はいどうぞ」と任せて、最後にリフレクションするという、先生がほっとんど喋らない授業を見せつけられたもんだから、拍子抜けしていました。
今でも覚えているのですが、職員室に戻るまでの帰路で、「あの授業、変わってますね!」みたいなコメントをもらって、「あの授業はね、」と『』を説明し、少しでも知ってもらうシチュエーションを期待していたのですが、そんなことはなくて。
教室を出て10秒くらいは特に質問されることなく。むしろ、この沈黙をどう埋めようかという雰囲気さえ感じ取れました。
振り絞って聞いてくれた質問が、「この課題プリントに出てくるin order toって、~するためにって訳で合ってましたよね?」でした。
もし『』を知っていれば、「あれって『』ですよね?」という質問が来るはずですがありませんでした。となると、『』に対して本当に何も感じなかったのか、50分間、私たちは何を見せられたんだろと思われていたか、といったところでしょうか。
なので、その教室から職員室までの帰路での出来事がショッキング的な意味で印象深く、今でも鮮明に覚えていて、この時期になると勝手に思い返される。
エンターテインメント授業を見せなかったあのときの自分が悪いのかなと思いつつも、「いや、教師のエゴを優先する授業ってどうなん?」とも思うわけで。
時代は変わりました。
教えるだけの授業にもはや価値はなくて、そんなん自宅でYoutubeでも観ながらやればどうにでもなります。学校に来なくてもいいわけで。
また、竜頭蛇尾といいますか、一貫性のない、とりあえずやってみましたというアクティブラーニングにも意味はないですし。いわゆる「楽しい授業」も同様で。
ぼくはあのとき、日々の授業の意義について語りたかったです。
いや、残り続ける公立学校ってなんだろうねってところから議論をしたかった。そうすれば、自分らが追い求めている授業の在り方に疑問符が生まれて、教育について深く考え直すきっかけが生まれたはずだから。