一斉授業の限界

アクティブラーニング(以下AL)的な授業をしているという話は、勤務校ではあまり聞かない。各教師のALの定義に依る部分が大きいのだけど、話し合い活動=ALとする人もいれば、ぼくみたいに授業の大部分を生徒集団に任せてこそALでしょと考える場合もあるので、そうなるとぼくは前者をALとみなさないため、無意識的にスルーしてしまっているんだろうなぁと思ってみたり。だから耳に入ってこないのかも。

 

ある教師が、「自分の授業中に単語帳をひたすらやる子がいて、心が折れましたわ」と嘆いていました。授業科目とその単語帳は同じ科目ではあるのだけど、自分の授業を聞いてくれないというものでした。

 

教師のトークが授業の大半を占める場合、あるいは生徒の活動配分が少ない場合、そうなっても仕方ないよなぁと、今では思います。

もちろん単語帳を授業中にやることに関しては、「そのマナーはどうなのさ」と思わなくもないが、生徒側の立場に立てば、「この授業は聞かなくてもどうにでもなる」「自分でカバーできる」「単語帳の方が深い学びができる」と思っているにちがいない。ぼくも高校生時代、そう思いながら授業は過ごしていたので。

 

それに、教師側が「その態度はなんだ!」と怒鳴るのもお門違いではある気がします。

大学受験合格を後押ししているのにも関わらず、この一斉授業という形式では、学習ペースは遅いわ、からないところは放置になるわ、わかるところには付き合わされるわで、いろいろとシステム的に限界なのである。

 

教師の教えたいという欲を抑え込めば、すべて丸く収まるのになぁと。

 

でも、その欲を封じ込めるのって、ベテラン教師には酷なことかもしれません。「効率の良い学び」とか「勉強よりももっと大事なこと」が見つかれば話は別ですが。

 

3年生になれば、生徒らの内職はもっと加速すると思います。

そのときの教師陣のメンタルがすごく気になります。

「ぜんぜん話きいてない」と落ち込むのか、それとも、「こんなもんか」と割り切るか。