『罰ゲーム化する管理職 バグだらけの職場の修正法』を読んで

「タイトルに惹かれたこと」「管理職が忙しいと言われる所以を知りたかった」という理由で図書館から借りました。

 

待遇などの改悪(業務量や責任の重さの割に薄い手当)で罰ゲーム化しつつある管理職。「管理職個人を鍛え上げれば問題は改善できるぞ!」という前提で、やれ研修だのやれ面談だの、組織の在り方について考えるのは二の次になり、忙殺されていくのが現状の管理職。

従業員が「自分事」として捉えられない、そして「すべては管理職個人がやるべきこと」として、当事者もそのまわりの人も無意識に認識する仕組みとなっていることが、これでもかってくらいにわかりやすく書かれていました。

 

例えば「仕事を部下に任せる」だけでも管理職の負担はかなり減ります。そこにスムーズに辿り着くための攻略法が書かれていたのが印象的でした。

 

 

また、読んでいて新しい学びがあったのは、「官僚制組織でもいいところはあるんだな」ということ。学校という職場は、いわずもがな実に官僚的で、前例主義による保守的傾向、画一的主義、権威主義的傾向など、うんざりするような文化で埋めつくされています。それでも、そこには合理的な側面もあって、「地位と役割が階級で明確」だから「組織の安定性を強化できる」こと、「業務を規則で遂行する」から「大量の業務を個人的な判断にいちいち左右されない」などなどメリットもあるわけで。要は「能力や感情に関わらず、全体のことを考えすぎず、専門領域に閉じた仕事ができるようにすることで公正かつ効率的に仕事ができる」という順機能の恩恵を自分は自覚することなく受けていたんだなと知りました。

ピラミッド型の官僚型組織の半端なメリットを享受しておきながら、視界に入ったデメリットを忌避し、脱官僚的な自律型組織への憧れをもっていた自分を恥ずかしくも思いました。

 

 

この本を読んだからといって、「管理職の状況を把握できました」とはならなくて、やっぱり「実際にその立場になってみないとわからんよね」というのが本音です。

ただ、罰ゲームとして捉えられがちな管理職の立場になる日がいつか来るのなら、そのときは、自分の労働によって生まれる成果の送り先を見据えて、「贈与する者」という境地に立てて働けたら本望です。