何気ない放課後が10年後も記憶に残る

2学期中間期末考査の時期になりました。

テスト一週間前ということもあり、ほとんどの部活がオフです。

 

この期間は、放課後に残って勉強する生徒が定番中の定番です。

 

ぼくが高校生だった頃、テスト期間中は学校に残った記憶がありません。思い出せない、というのが正しいのかもしれません。

家⇆学校が片道1時間ちょいということもあり、早く帰ったほうが賢明と考えていたのかしら。残ったとしても図書館で一人黙々とやる感じ。

「友人らと残って勉強」は選択肢にはなかったと思います。「バカ話に花を咲かせて結局何も身につかない」がお決まりのオチだったから、「一人でやった方がまだマシ」でした。でも、「わからないところを聞ける友人」は欲しかったなぁ。高校生のころは、「真面目な話をする仲の友人」は一人もいなくて、「一緒にバカをやる友人」しかいませんでした。

誰かの口癖を言い合ったり、下ネタで言葉遊びしたりしてゲラゲラ笑い合うような、そんな関係。それはそれですんごい楽しかったのだけど。

 

そんな今日は退勤前にふらっと他クラスの教室に顔を出すと、「英検もそうだし試験も近いので先生、単語帳から問題を出してください!」と数人の生徒にせがまれ、渋々いろいろと出題。自分じゃなくてもいいだろうにと思いながらも、生徒にとって、先生から出題されることに何かしらの価値があるだろうなとも思ってみたり。

早く帰りたかったので最初は渋々と出題してましたが、教師という職業柄、ついつい豆知識とかを教えたりして、なんだかんだで楽しくなっている自分に対して、「お前はつくづく教師だな」と半分呆れかえっていました。

気づけば10人くらいの生徒が一堂に会し、大きな学習集団、というか「楽しい空間に吸い寄せられた集団」になっていました。こういう何気ないシンプルな時間が、実は10年後も「あのときは楽しかったよね」と話題に出るんだろうなぁと考えてみる。

 

授業で強く伝えたこと、訴えたこと、笑いがおきたこと、自分が「っしゃ!この話は響いたな!」と自信のあるもの、こういったものは案外すぐに記憶から淘汰されちゃうもんだから、不思議ですよね。おそらくぼくも、小~高に出会った先生にとっての決め台詞等をすっかり忘れてしまっているのかもしれません。自覚すらしてないのかも。

 

 

そうそう、放課後に残って勉強することについて。

「やばいー!テストどうしよう」と焦る生徒が散見されますが、なんなら昔のぼくもそうでしたが、あれってシンプルに「日ごろのわからないを放置した結果」だよなぁと思わずにはいられません。一つ一つの授業で「わからないを無くす」ことがどれだけ重要か、そしてそれを叶えることができるのはやっぱりあの授業だよなと、毎回思い辿り着きます。

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