結論の裏にあった結論

ブログの下書きページに、昨年の9月に参加した英語科の外部研修の内容がメモ程度に綴られていた。

 

どんな内容だったかを思い出しつつ、加筆してみる。

 

その英語科の研修では、「英語はこれからも大事になってくるー!」「だから教員はOOを教えるべきだー!」的な内容を講演者が話していて、「んー..」と納得できない自分がいた。

 

何事にも当てはまると思うが、利権とか既得権益とか絡んでるので、「学校で英語なんて教える必要はない」「学びたい人が学べばいい」「必要性を強く感じた時に学び始めるでもぶっちゃけ問題ない」なんて言ってしまったら「おいおい」となるわけで。もちろん英語科教員である自分の首も締めることになるが。

「みんなが」学ばなければいけない、しなければいけないというふうなものには疑問符がつくのは昔からで。だから、流行とか一世風靡的な内容には、(ものによっては)飛びつかないことがほとんど。

 

なもんで、その研修も「とりあえず英語は習得しないといけないという結論だよね」といつものオチにがっかりするはずだったが。

 

その講演者は、「言語のニュアンスやその国の文化・時代背景に強くある」必要があり、「中途半端な英語を発するくらいなら翻訳に任せた方がいい」と話されてた。

 

その結論のあとで出た意外な結論に、スッキリしている自分がいた。「そうそう、こういうのこういうの」と。従来の当たり前な考え方に否定的な話ってなんかいいなぁって。