初の高教研で学んだこと

今日は高教研の関係で学校が閉鎖日。生徒は家庭学習日という名のお休み。教員たちは大小の講堂に一堂に会し、講演や研修報告を聞く1日となりました。

 

コロナの関係でこういったリアルの集いは4年ぶりなんだそうな。

 

オフラインでの高教研の参加は初めてだったのですが、改めて高校教員の多さに驚きました。大きな講堂が人で埋め尽くされていて、これがみんな高校教員なのか!といった衝撃たるや。

 

「あぁ!〇〇先生!お久しぶりです!」とお知り合いの先生同士、楽しそうに話していて、同窓会のような雰囲気もあって、個人的には「こういうのは良いなぁ」と見ておりました。

おそらく、高校教員としての年数を重ねて行くと、自然と、勝手に、顔が広がっていくので、ぼくも一種の「同窓会」として楽しめる日が来るんだろうなと思っております。研修ではあるけども意味変するので、価値が変わってくるんだろうなぁと。

まだ、意味変ができていないからか、今回は速攻で帰ってきました。

本当は「新しいつながり」を作るために動くべきなんでしょうけど、もともとそういう性格を持ち合わせていないこと、人間関係の構築はかなり疲れること、今日は早く帰りたかったという感情等で叶わず。また次回ですね。

 

午前の講演会では、大阪市立大空小学校元校長の木村泰子さんのお話を聞きました。

「実はまだドキュメンタリー映画を見れてなくて、本も読んでいない、でもすごく気になるお方」が木村さん。

大阪出身なだけあって、話し方や会場の笑かし方がうまかったです。

もちろん、大空小学校での教員人生、木村さんの教育観も素敵でした。

 

自分と考え方が一緒だなと思ったのが、「障害という言葉に対する違和感」でした。「ふつう」という言葉によって「特別・障害」という枠が生まれる。子どもたちはただ「他の人たちにはあるけどその子にはたまたま無かった」というだけで、「障害者」とカテゴライズされること。インクルーシブ教育という言葉は、聞こえはいいけど、「障害者」という考え方が前提となっています。

 

学びの場に「障害者だから~」という「排除思考」が生まれていることはやっぱりおかしいよなと改めて思わされました。

ぼく自身、特別支援学校に勤務していたので、リップサービスとか上辺の感情とかではなくて、本気でそう思えます。

 

午後は教科別に別の会場に集まって、研修報告と講演会。

 

研修報告では、指定された高校の授業実践報告でした。

「こんな感じでやっているんだぁ」という発見もあれば、「でもこれを毎回の授業でやり続けるのは難しいよな」と唸るものもあり、これはこれでいい時間でした。自分の授業をもう一度見つめ直そうと思いました。

 

また講演では、某県外の大学の教授がこれからの英語教育について話してくださいました。今の自分の授業スタイルで、「知識・技能」に偏重せず、かつ、「思考力・判断力・表現力」をもっと伸ばすためにはもっと注意すべきポイントがあるのではないかなと考えるきっかけとなった、貴重な時間でした。

 

余談ですが、講演者の方が明言されていましたが、「ここだけの話、今の文科省には力がなくて、実質的権限は、財務省経産省が握っている。文科省は国民からの圧力の盾になっているだけ」とのこと。一定期間、文科省で仕事をすることがあったそうなので、間違いなさそうです。

どこかの教授も同じようなことを(何度も)言ってましたが、別の人から聞くと、より一層信憑性が増しますね。

 

今後、財務省経産省の言動に注目しながら、自分ができることをしていきたいです。

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