新しい教育観のすり合わせ

今日は自分の考えとは相反する教育観に触れ、「でも、そういう考え方も汲み込む必要があるのかな」と考えさせられるシーンがありました。

 

1つは提出物について。

 

 

「(なるべく)提出してください」という絶対性の薄い提出物が各クラスの生徒に振り分けられてました。

 

ぼくとしては、「高2なんだからいい加減そういうのは自分でできるようにしてね」「お互いに声かけあって出してよ」と言い続けていたのですが、未だに数名ほどしか提出していません。自分のクラスだけでなく、ほとんどのクラスが「全員提出」できていませんでした。

ただ、一クラスだけできていたところがありました。その担任に同僚の先生が「さすがっすねぇ」と褒めていて、「なんか秘訣あるんですか?」と質問していました。

「放課後に残して無理やりやらせましたよ(笑)」と答えました。続けて、「いやほら、生徒の中に自分だけやらなくても大丈夫っていう甘い考えをもって過ごさせるのはなんか癪なんで」とも。

 

「強制」もたまには必要なのかもしれないと、自分の穏やかな指導を考えさせられる貴重なシーンでした。

意味ある意味ないに関わらず、「全体で出すと決められたものは徹底させなきゃ」と、何かにハッと気づく。

 

 

そしてもう一つ。

 

最近の高校生はこんなもんなのかしら、自分から先生のところにきて「わからないところを聞く」生徒が本当に少ないです。高3は別ですが。

「いつてもウェルカムだから」と宣伝しているのに、来ない。

 

それを不思議に思っている近頃。

わからないという事実を自覚しているのに、放置する。

で、テストも引くぐらい点数が低い。

それでも、来ない。摩訶不思議である。

 

そんな今日。ある先生から教えてもらったのは、「ここの学校の生徒は、本当は学ぶ意欲はあるのだけど、周りの生徒の目を気にして先生に近づけないのよ。だから、わからないままにしてしまう」とのこと。

「だから先生の方から、勉強を苦手にしている子を個人的に呼んで、お話ししながら教えると、勉強のスイッチが入って、そこから成績を伸ばしていく傾向があるのよ。」とのこと。

 

どうやら、かまってちゃんが多いようなのです。

先生からのアプローチをきっかけに勉強をスタートさせる。

 

なるほど。そういうもんなのか。

 

集団に働きかけても大きな動きがなかったこの半年。

授業では良い感じなんですが、学びのハングリーさが正直弱い。

その程度の理解力で満足してるの?と思わされることが多々あります。

 

個に働きかけるのは、自分のポリシーに反しますが、そういう傾向の生徒が大多数となると、話はまた別なのかもしれません。その働きかけが日々の授業実践に、そしてこれからの学習に良い影響を与えるのなら、やってみない手はないのかも、と思ってみたり。

 

でも、どこか納得できない自分がいます。

「集団に働きかける」の限界はこの程度なのかと。

「そんなはずは,,」と生徒を過大評価しているかもしれない自分を否定したくなる。

 

できるはずなのに、と。

 

難しいもんで。