担任制への疑問

高校と言えば教科担任制。

 

担任が受け持っているクラスの生徒と接する時間は、基本、朝と帰りのST、HR、そして授業のみ。あとは放課後の掃除くらいでしょうか。こちらは班別なので、接する生徒も限られてますが。

 

それ以外は、生徒たちは別の先生と過ごすことがほとんです。

 

そこでふと思ったのが、「担任の先生」という概念がちょっと邪魔だなぁと思ったことです。日に依ると思うのですが、「なんか今日は馬が合わないなぁ」という日があったりなかったり。それでも、「担任だからそうも言ってられない」と自分を納得させるわけですが、イマイチな日ってどうしてもあるもんです。人間ですからね。

 

生徒もきっと、似たような感情があると思うんです。

それにそもそもの「この人と合う合わない」という相性もそれぞれが持っていますし。

 

「担任」という役割的縛りが、自分と生徒たちを息苦しくさせることがあります。

そうさせないためにも、もっと流動的な担任制を設ければいいのに、なんて思ってみたり。例えばですが、先生たちが1日ごとに担任クラスを変える、とかでしょうか。

 

今日はこの先生で、明日はあの先生のような、バラエティに富んだ担任制を個人的には強く望んでいます。

 

でも、欲を言えば大学院生時代の担任制が理想です。

 

研究室という名の担任制を設けているのだけど、ゼミ生自身が研究室から「抜ける」あるいは「残り続ける」を選べる、そんな制度。もちろん、「去る者は追わず来る者は拒まず」という文化がそこにあるのが前提です。パワハラ防止にもなりますし。

 

教員をしていて思うのは、そのシステムが一番理にかなっているし、なぜそのシステムが導入されないのかという疑問が芽生えます。

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