少しずつ変えていきたい評価のこと

あくまで学期末の「評価」のために、中間考査期末考査後に、テスト範囲のワークを提出させるようにしています。教科の先生によっては毎週何かしら提出させています。そこまでできる手厚いサポートには脱帽です本当。

 

ぼくの学年の英語科は、1学期は他教科と同じように、毎週、課題を提出させていました。でも、もう一人の先生と話し合い、課題をチェックするのは教師にとって負担だし、生徒にとっては「答え丸写しの所業」に過ぎないので、なしにしましょうということで、9月からは毎週課題を集めていません。

 

そのかわり、小テストを2週間に1回実施しています。

 

範囲となっているところをそのまんまテストに出す。

生徒がとった点数をそのまんま学期末の評価に反映する、ということにしています。

 

テスト作成や丸付けは分担していて、作業量は正直なところ、前とあんまり変わりません。小テストとはいえ、ソフトやデータを使いながらではありますが、2週間に1回作成しなければいけないですし、そのたびに解答作成がてら、間違いがないかどうか確かめるために自分で一度解かなければいけない。この作業には合計90分くらい。

 

80人分の丸付けには、2時間半ほど。

 

でも、負担感は前よりかは断然減りました。

それに、「これ意味あんのかな?」という疑問もないですし。

結果主義に舵を切ったので、いっそ清々しい。

 

生徒の成績を文字通り肌で感じることができるのは、これはこれで嬉しいなぁと。

 

一方、課題提出って、脳を眠らせてもできる作業ですし、音楽を聴きながらでもできちゃうわけで、思考停止作業と変わりないと思っています。「提出したら評価する」はどうもぼくにはしっくり来ない。

 

そこに意味がないと納得できないものが学校には多いです。

「提出関係諸々」がまさにそれ。

 

ただ、教師が丸付けをしている時点で、まだまだ先は長いです。

それに、「学期末の評価に向けてどうしよう」と悩んでいる時点でも、未熟さを感じます。

 

あらゆることを機械に任せて、とっと「集団を見守る教師」になりたいものです。

 

楽をしたいとかではなくて、その方が「マシ」だからです。

 

結果にコミットしてないのに「キツさの先にあるものこそ真の教育」なんて言うのも思うのも、ぼくにはできないです。

 

結果なんだと思います、要は。