使い時ってもんがあるから

三年生が放課後に、担当教科の先生のところへ行き、勉強について質問しています。受験シーズンの名物みたいなもんですね。ただ、定時を過ぎてまで生徒の相手をしている先生を見ると大変そうだなとも思います。

ぼくが高3の頃は、たとえわからないところがあっても、先生のもとへ質問しにいくことはありませんでした。「放置」を貫いていたので、成績も伸びなかったのは自明です。

 

そもそも質問しに行ける先生がほとんどいなかった気がするのは記憶違いかしら。

「日常的に話せるのは話せるのだけど、勉強のことは相談できない」という、なんかそういう微妙な関係の先生が多かったです。なんとなくですが、「教師に授業外で質問する」のが苦手だったのが理由かと。

 

ぼくは中3のころ、それこそ部活を引退し、受験シーズンに入っていた冬頃に、当時の数学の先生のところに思い切って質問しにいったんですよ。「わからないところを聞いてみたら何か発見があるかも」と。

 

でも、物分かりが悪いぼくは、淡々と解説をしてくれる先生の意に添えず、納得できないでいました。「ん~。」とか「どういうことですか」と。当時、その先生も仕事が溜まっていたのでしょう、学年主任でしたし。

「とりあえずこういうことだから」と切り上げられ、その時間は終わってしまいました。焦っている様子から、今は生徒に構ってられないという雰囲気もありました。

 

そこで発見したことは、

・教師からの解説でもわからないもんはわからん

・理解力がない自分は教師にはストレスになる

でした。

 

その日から、相手に気を遣ってか、教師に聞きに行くことはなくなりましたし、知ったかぶり・分かったふりが横行しました。

わからないことは相手には迷惑になるんだろうなと。自分さえ「わからない」というストレスを我慢すれば済む話だ、と心のどこかで愛想笑いしながら。

 

でも、教師がダメなら自分のまわりの生徒がいるじゃないかと今では思います。聞きたいことを聞けて、「そもそもなんで~」を気兼ねなく聞ける友人の方が、教師との対話より理解が深まるし断然マシだよなと、認知心理学的に言えます。

 

 

勤務先の高1・高2の生徒には、初っ端から教師に頼るんじゃなくて、まずは生徒同士で聞き合える人間関係を築いてほしいです。教師に聞かなくても解決できる問題って実はたくさんありますし。

教師として、そうなるような環境作りを目指したいです。

 

もちろん「教師に聞くこと=悪い」とは1mmも思っていませんが、「使い時」てもんがあるじゃないですか、と思ってみたり。