形式を少し変えると雰囲気がガラッと変わる

日々の『』実践で悩んでいることがいくつかありました、というか、4月の実践から現在にかけて、「君らもっといけるのに!」思い続けていたのですが、気づいたらもう10月になっていました。なんならもうちょいで11月じゃないですか。早いもんで。

 

生徒といってもクラス単位になれば性格というものが生まれます。集団なのにおもしろいですよね。でもこれが集団というものなんでしょうね。

 

各クラス、集団としての性格がそれぞれあります。

 

あるクラスは「謙虚でおとなしい」し、あるクラスは「お調子者」、またあるクラスは「元気(いろんな意味で)」と、同じ高校生でも、集団として観察すれば性格が見えてくるので、これまたおもしろいし、時には「勘弁してくれよ..」ともなります。

 

それぞれクラスの性格が違うため、自分の言葉がけや語りが違っていたりもします。この語りだと聞く人が圧倒的に少ないなとなると、テーマを変えますし、自分のちょっとマニアックな話でも耳を傾けてくれる人が多いクラスには別のテーマで話す。

 

「人によって態度を変える」と同じ原理ですね。

 

そんな最近の実践で気になっていたのは、「上位2割が、自分の思うように動いてくれない」でした。で、この前の越後『』の会で何人かの実践者に相談したところ、「教師の介入を少し増やすこと」を提案していただきました。

 

ミニティーチャー的な存在を教師が人為的に生むこと。

ぼくからしたら不自然的です。ですが、やってみようと思えました。

 

やり方はシンプルで、課題の中に、「教師にしか評価・採点できない難易度の問題を設け、先着5名で添削をしてあげること」です。

添削=教師からのお墨付き=「自分が中心になってみんなに教えていいんだ!」という自信につながるからとのことでした。

 

早速、昨日今日トライしてみたら、雰囲気がガラッと変わった気がしました。いろんなところで学び合うコミュニティが、以前より増えた気がします。それに、話の内容も学習に関することがほとんど。

 

今まで、「教師が関わらないことこそなんぼ!」と頑なにその考えを変えなかったので、こういう変化を目で確認できたのはうれしかったです。

 

とはいえ、授業では「教師の存在を限りなくゼロにする」が至極美しいと思っているので、そのうち、しれっと自分の存在感を薄めて、生徒らで解決していく集団をつくっていきたいです。

そして、一人でも多くの「多様な人との関わり合いが実は得でしかない」と考える生徒を増やしていきたいですね。常に伝えているのですが、砂漠の砂に水を与え続けているような感覚で、あまり伝わっていないのが現状です。

 

そういった経験を通じて、「本当だ!いいねこれ!」と生徒自身が実感できるように、自分の『』の授業を改善していきたいと思います。

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