教師は忘れてもらって結構なんです

いつだったか、先輩教員と教育論についていろいろと教えてもらったことがあります。

 

個人的に引っかかっていることが、「生徒から卒業後もずっと忘れられないためには、ビシッと厳しく生徒を叱れる教員であるべきだ」という言葉です。

 

引っかかっている点は2つ。

「生徒から忘れられないために」と「厳しく叱れる」という点。

 

まずは2つ目の方から。

その方が話している感じだと、常に口うるさく厳しく生徒を締め上げるべきだ、的なニュアンスが感じられました。舐められないようにビシッと。そして、ダメな言動には吠えて、叱り飛ばす。その経験の先に、将来「あぁ、先生が言ってたことはそういうことか」と感じ「感謝される」という内容でした。

 

そこまで厳しくある必要はないのかなと思ってます。なんというか、血気盛んである必要はあるのかなと。

もちろん、ダメなもんには「そういうのは良くないよ」とからかい混じりで、でも本質を突いた話をするし、場合によって膝を突き合わせて「よく聞くんだぞ」と諭します。そしてそこには、怒りとか力とかはありません。

そんな一見生暖かい指導でも、生徒の次の行動につながることは往々にしてあるので、「要は方法であり、要は結果でしょ」と。

 

そして最後に1つ目について。

最後なのに1つ目について話すっておかしいですね、まあいいか。

 

「生徒から忘れられないためにぼくは生徒と日々接してないぞ」と思うわけであります。忘れられても全然OKなんですよ。生徒から忘れられても全然傷つかないし、忘れられても「だよねぇ」とさえ思う。

そして自分の存在は、生徒らの人生においては不要なはずなんです。「名前は忘れたけど、過去の人」として記憶に残ってる、その程度でいいんです。

彼らが将来幸せになってくれていればそれでよくて、記憶に残るように自分が彼らの青春時代に爪痕を残そうという思想はない。

生きていく上で必要な「多様なつながり」さえ築ければ、それでいい。

と、クサいことを思ってます。

 

教員をこの先何年も続けるにあたって(とりあえず辞めないていで話しますが)これから何百何千人の生徒と関わるわけで、一人一人の生徒に「俺のことを忘れないいてほしい」と思うこと自体、女々しいというかメンヘラというか重いというか(笑)

 

とは言っても、間違いなくぼくと関わった生徒の何人かは、きっと死ぬまでぼくのことを覚え(てくれ)ると思います。これは決して思い上がりじゃなくて、そういうもんです。

未だに小学校~高校のときの担任・副担任・教科担任の先生の言動を話せる自分がその証拠です。

ただ、記憶の残り方はそれぞれ違いますが。

 

いずれにても、教師は教え子に一生涯覚えてもらおうとするんじゃなくて、大事なことを伝え続ける、その行動が大事だよねって話。うまくまとまりませんが。