10年後の君らに聞きたい文化祭のこと

今日は文化祭がありました。

高校の文化祭は、実に10年ぶり。高3以来です。

 

まさか高校教員として文化祭に携わることになるなんて、17歳のぼくは想像すらしていなかったと思います。

 

以前にもブログで書きましたが、勤務先の、というか勤務している自治体は、どちらかというと体育大会に特に力を入れていて、文化祭はそれと比較すると「そこまで」なのかなと思います。平日の1日のみの実施、日程がぎゅうぎゅうです。

 

一方でぼくの母校はというと、当時は2日くらいでやった記憶があります。土曜日もやってなかったでしたっけ?それは思い違いかしら。時間的にゆとりがあったので、「我こそは」という人たちが、学級ステージとは別に第一体育館でダンスや歌、バンドを披露していました(自由鑑賞)。

それ以外は基本的に内容は一緒だと思います。もちろん形式は違いますが。

勤務先は、教室展示(1年生のみ)、学級ステージ(2年生のみ)、出店(3年生のみ)という感じでした。

 

でも、青春だったからか、育ってきた環境が違うからか(#山崎まさよし)、雰囲気やその他諸々は母校の方がなんだかんだで好きだった気がします。

どうしても比較してしまいますね。こればっかりはしょうがない。

 

そうそう、クラスの学級ステージで担任の自分も出演させられ、もとい、しました。

こういう催し物では、「好きに使ってくれ」というスタンスをとっています。「先生、この場面で出てください」という依頼が生徒からあればOKと返事をするし、ダンスもしっかり覚えたし、「ここで音に合わせて叫んでください」という依頼もあったので、叫びました。

そういえば高1の学級ステージでも一人、叫びましたね。

『LOVEドッきゅん』という曲で、「おれホストだから、よろしく」というところを叫ばされました。リーダーから「キャラ的にお前だわ、頼む」と依頼されたこと、「これやればモテるよ」という根拠のない誘惑があったことで、引き受けました。昔からとことん押しに弱いのだなぁと振り返る。

 

先生の自分が出たことで、会場全体が盛り上がっていたかどうかはステージからでは案外わからないものですが、まあ、クラスのみんなに、このステージ発表が思い出として少しでも残ったのならそれでいいか、なんて思ってみたりします。

 

担任としてこうやって出させられるのは、あるいは、依頼されて「いいよ」とOKできるのは、正直なところ若いうちの特権だと思います。

40代になってから出るかと問われれば、「いろんな意味でもう年だから,,」と、生徒も自分自身も感じ、誘われることも、誘いに乗ることもなくなるんだろうなぁと思います。と書きながらも、「結局は自分のキャラ次第」だとは心の底で思ってるので、そこはそのときになってから判断しようと思います。

 

今日の文化祭は、今の生徒たちにはどういう形で思い出に残ったのだろうか。ちなみにフルで文化祭をやったのは、コロナの関係で4年ぶりだそうな。

 

10年後に聞いてみたいものです。

「あのときの文化祭、どうだった?」と。

ぼくみたいに「なんだかんだで好きだった」と答えるのかしら。

文化祭」の写真素材 | 4,683,123件の無料イラスト画像 | Adobe Stock