昨日は高校の合格発表がありました。
教員全員で行ったとはいえ、少なからず自分も採点に関わったわけですが、その採点によって進路が、大袈裟に言えば人生が決まった子がいることを考えれば非常に感慨深いです。
合格発表日の昨日は、特に仕事が割り振られておらず、2階の職員室から外で行われている発表の様子を見ていました。思ったより盛り上がっている様子がなかったのが印象的。どうやらネットで発表もしているそうで(ネットだと1時間遅れ)、おそらくそちらで確認する家庭が増えたのだと思います。
ちなみにぼくの時代は直接見に行く必要があったので、高校に向かう道中、母の車でアーアーウ―ウー言っていた記憶があります。ただ、当時の親友の母からうちの母にメールで連絡があり(ママ友ってやつです)、「おめでとうございます!春から一緒に同じ高校ですね」とのこと。それをそのまま母から伝えられ、車で歓喜したことを覚えています。なので、「現地で番号を探して、その結果に喜ぶ/落ち込む」という経験は一度もしたことがありません。
記憶が正しければ、倍率が1.6倍くらいだったし(田舎にしては高倍率)、試験の出来が悪かったのでそれはそれは大変喜びました。
そんな馴染みがあるようでない合格発表。
昨日、窓から見ていると、合格したのかどうかわからない喜び方をする子、「よっしゃ」と微妙に盛り上がっている子、ショボンと落ち込んでいる子、いろいろな中学卒業生を見ることができました。
「高校受験で人生なんか決まらない」なんて言われてますが、厳密には「いや、決まるよ」と思っています。高校受験に限らず、何事にも言えることです。
自分が通うことになる小学校、中学校、大学・専門学校、会社をはじめ、自分がお付き合いする人、つるむ人、結婚する人、そういったいろんな要素の掛け算で人生は決まるので、進む方向が決まった瞬間、何かしらの道が自分の前にバーと出来上がるわけです。よって、高校受験の合否に一喜一憂していたあの生徒らも、分岐点で右もしくは左に曲がったわけです。これは覆しようがない事実で、そこから予測不可能なストーリーが進んでいくんです。
もちろん、その進むことになった道が「正解だったのか、不正解だったのか」は自分次第なのですが。
なんてことを、30を目前にした自分が生意気にも考えております。
でも、人生って本当にそうだよなとは思います。