始まりの始まりに過ぎないんやで、でも、おめでとう

昨日のブログでは、「大学合格は複雑な心境」的な内容を書きました。

 

志望大学への合格=長期的スパンの幸せ、とは限らないので、「大学合格したん?!よっしゃー!これでお前は幸せやぁ!」と感じる雰囲気のある昨今(というか昔からか)の受験システムにはあまり居心地のいいものを感じていなくて。

 

仮に大学を受験し合格したとしても、一喜一憂するのはいいとして、「満足」だけは生徒教員ともどもしてほしくないのが本心。高い金払って行くのだから、その投資に見合った時間を過ごしてほしいと思います。

とはいえ、こんな堅苦しいことを書いてますが、ぼくも大学生時代はそんな大した過ごし方をしてません。大学2年の終わり~から、「ちゃんとしよう」と貯めたお金で留学等をしましたが、それでもまだまだ余白があった大学生活だったなと振り返る。

 

もっと専門的なことに精を出したかったです。ただ、その段階に行くには材料が少なかったです。所属するコミュニティが少なかったのです。自分の場合、教育分野ですが、うん、今振り返っても「大学時代の自分、教育関係での専門性、弱くない?全然尖がってねぇじゃん」と思いますもん。

大学院に行ってからまだいくらか変わりましたが、それでも大学でできたことはもっとあったはずで。「こっちこっち」と自分を導いてくれるものに触れる機会が少なかったです。教育分野に限らず、もっとこう、ジェネラルな分野で活動して、いろんな人と繋がっておくべきだったなぁと、後悔してます。

 

そんなあとの祭りを嘆きながら、大学に合格した元3年生(卒業生)にメッセージを送りました。「合格おめでとう。大学からが始まりやで」と。

 

そうそう、自分が受験指導(英語と面接)で関わった生徒みんなが合格したことを昨日時点で知りました。指導はそれなりにしました。生徒によっては、Classroomをフル活用して、朝や夜、休日を使って試験前日まで添削をしてましたし。

それでも自分が合格させた感はなく、生徒の根性と3年生教師陣の力だよねって思っている自分がいるので、めちゃくちゃハッピーとはまではいかないもので。

 

それでも、自分が担当した生徒が「とりあえず」は人生の目標に向けてステップアップできたことはシンプルに嬉しいです。

 

まあ、なんだ、お元気で、サラバ!