『ただしさに殺されないために~声なき者への社会論~』を読んで

Youtubeかなんかで紹介されていて興味深いと思って読んでみました。

内容はもうタイトル通りで、「自分たちが正しいと思っていることって実は残酷な事実が隠れてるよね」という風なことが書かれてました。

ここ近年よく目にする「世界の富裕層の上位1100人ほどが46億人より多くの資産を独占している」についても書かれていましたが、それ以外の「意外な真相」が知れて、終始ワクワクとソワソワの繰り返し。

 

社会で一度は話題にはなったけど、自分のアンテナは反応していなかっただけなのかもしれません。

 

例えば「排除アート」は「そういうことか!」となりました。

排除アートは、言ってしまえばホームレスなど特定の人による公共空間の利用を物理的に妨げている造形物のことを指すそうです。

 

座面が仕切られた公園やバス停にあるベンチ。

高速道路の高架下や歩道橋の下に置かれたオブジェ風の丸石。

よく見ますね。都会なんかで特に。

 

一見「おしゃれ~!」となりますが、ホームレスの方からしたら寝床や住処を奪われているわけです。でも、一般人からしたら「芸術性」と「利便性」が組み合わさった造形物に映り、社会的には一石二鳥と捉えれます。

このことによって、行政としては「ホームレスがたまたまそこからいなくなったという事実」を作ることができる上に、「ホームレスの排除」が第一次的な目的とは思われない、なんなら「排除」というニュアンスを一切含みません。

 

排除のニュアンスを少しでも出すと社会からバッシングを食らうので、作為的に巧みに「デザイン」されているのだなぁと。

 

 

見た目の話も「なるほどな」と妙に納得。

いつの時代からかはわかりませんが、「人を見た目で判断するな(反ルッキズム)」という社会の在り方を提唱する風潮が流布しています。この考え方自体は(個人的には)正しいと思ってます。(人は情報を80%以上の割合で「視覚」で処理しているので「見た目で判断するなうんぬんかんぬん」て能力的に無理じゃねという本音は一旦置いといて、)「見た目」で人を判断するのはよくないよ、というのはぼくも強く思ってます。

 

そういう考え方を訴えることで、自らの優れた道徳性や倫理観を演出することができます。外見の高い評価に見合った内面性を持っていることを世間にアピールすることができるわけですが、序列化構造(イケメン・美人=位が上)への反対論は、政治的正しさに裏付けられた序列化構造を解体することはできませんでした。むしろその序列化構造を残したまま、表立って口には出せなかった風潮だけをいたずらに強化してしまう結果に。

価値基準のプレミア性を上昇させるという結果になり、結局は外見が良い人が反ルッキズムを唱えるだけで皮肉にも周りから崇められるようになり、「なんじゃこりゃ」状態なわけです。

 

 

橘玲さんの『言ってはいけない』シリーズと一緒に読むともっと理解が深まりそうな気がします。