カリスマ教師を求めてはダメ

勉強に消極的な生徒や、授業にそこまで前のめりではなかった生徒らと授業後に雑談してたのですが、2年生後半ということもあってか、受験を意識しているような雰囲気がそこにはり、たくましさが感じられました。

 

意識や態度以外で、成績にも反映されていて、「あぁ、ここから学力が化けていくんだろうなぁ」と少し期待しています。

 

大学進学=人生の幸せ、とは1mmも思っていないし、受験だの偏差値だのと議論している人たちを見るとどうしても興醒めしてしまうのですが、それでも「大学進学」という目標に向かって努力している生徒や、なんとなく学校に来ては怠惰な学校生活を送っている自分から勉強を起点に変わろうとしている生徒を見ると、胸が高鳴るのは疑いようのない事実でして。

 

集団の中の生徒が、そういう熱量ある人とどんどん繋がっていけば、おもしろい化学反応が起こるのだろうなぁと、ちょっとした妄想をしています。現状の集団レベルでは、まだその理想郷にはほど遠いのですが。。

 

そういえば教師をやっていて常日頃思うのは、「カリスマ教師が現れるのを待ち望むような生徒を生みたくない」です。

ここでいうカリスマ教師というのは、「自分(生徒)を変えてくれるような、めちゃ頼りになる存在」として教師のことで、早い話が生徒が受け身の姿勢になるのを助長する存在にはなりたくないなぁと。

 

カリスマが現れるまで動かない、

カリスマが現れたら本気出す、

運命的な出会いに期待、みたいな、運任せな姿勢を持った子には育てたくないと思いながら、生徒とは接しているつもりです。

 

何から何まで施すことは絶対しないです。

 

「お前の人生だろ。自分から動かないと何も始まらないし、そのままの姿勢だとこれからもずっとそのままだけどいいの?」という本音をむき出しながら授業には臨んでいるし、言っています。

「集団内でつながったり、多種多様な人間とつながれば、今のその状況から抜け出せるよ」と少し厳しいかもしれませんが、事実を語っています。

 

ただ、「わかっちゃいるけどねぇ。。」がまだ大多数で、少し歯がゆいそんな最近。

 

「自分を変えるために、いつ動くんだよ」と生徒(集団)に対して思わずにはいられないわけです。