『学校がアホらしいキミへ』を読んで

タイトルと直感で選んだ、日垣さんの『学校がアホらしいキミへ』という本。

2008年に出版されたやや古めの本です。

100ページ程度しかなく、見開きに収められている字も少なめなので、30分くらいで読み切れる内容です。語り口調ですし、内容がお堅くないのも特徴的。

 

目次を見ると、「ありえたかもしれない人生」「いい時代だよなあ」「自分で考える方法」などなど、興味深い見出しばかりで、どのページから読み始めてもいいかもしれません。

 

個人的に気に入っているのは、というか「お、刺激的だな」となったのは、ひと昔前の、いわゆる「でもしか時代」の教員の件。目次でいうところの「先生はつまらない」です。

 

先生に「でも」なるか、先生に「しか」なれないという、勉強嫌いの落ちこぼれが教師になった時代もあったそうで。今ではちょっと考えにくい時代ですね。

落ちこぼれと言うのは、一流の「絵描き」「スポーツ選手」「歴史学者」などになりきれなかった人たちが学校の先生になり、教壇に立っていた時代みたいです。

 

この時代だからこそ今よりよかった。というのも、「学校の勉強を本気でおもしろいと思える児童生徒」は、多くて2割弱。この2割弱に入らない「でもしか教師」は、8割強の生徒にとっては同士だでした。

しかし、今となっては「学校の勉強がそこそこできた人」だけが先生になる時代になりました。

どこまで行っても「勉強勉強勉強」「テストテストテスト」「成績成績成績」「進学進学進学」で、子どもらからしたら発狂モンでしょうね、特にその時代の生徒がこちらにタイムスリップなんかしたら。

 

でもしかタイプの先生は、他とは違う屈折した人生を送った人であるがゆえに、子どもたちにとっては逆にそれがおもしろかったと書いてありました。「なんとなくわかる気がするかもしれない」と思ってみたり。

 

今の教育は、どうもゆとりがないです。教師の自分でさえ、息苦しさを感じます

 

もっと肩の力を抜いて、子どもたちの学校生活に、緩い要素が入るといいのですが。遊び心、というんですかね。「座学/研究」感が強くてどうも馴染めません。

かといって、「とにかく遊びまくれぇ!」とは思っていなくて、「学校生活の中で何か自分の強みを見つけてほしいけどね」「誰よりも尖がれるエリアを開拓してほしい」とは思ってます。

 

これはこれで鬱陶しく思われるのでしょうか。

「結局はお前も真面目かよ」と。

 

生徒に何か言われたら「遊んでばっかりでいいわけないだろ!」「大事なことじゃないか!(憤怒)」と言ってしまいそうです。となると、大多数の教員と同じカテゴリーに入り、「この人も一緒だ」と白い目で見られるのかしら。

 

教育という答えのない問いに、浅い所から深い所まで、ふと自発的に考えることができた本でした。