あの頃は なぜかしら

昔、カナダはトロントの語学学校に通っていた頃の話。

 

放課後(14時以降かな?)や週末に、アクティビティがありました。

毎日ではなかったと記憶してます。それでも週に何回かあったような。

 

学校の先生が付き添いで、生徒ら(生徒と言っても若い子で16歳、上は50代)と一緒に美術館に行ったり、ホッケーの試合を観戦しに行ったりする、自由参加の交流の場。そのときにかかる費用さえ払えば毎回行けちゃう、資金面のハードルが低い定期的なイベントでした。

週末なら花見なんかもあった気がします。ナイアガラの滝も見に行きました。当時お気に入りの家系ラーメンのTシャツなんか着てさ。

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でもぼくはね、正直なところ馴染めなかったです。

 

みんなそれぞれ行きたい友人らと一緒にそういうアクティビティに申し込んでいるのに対して、基本一人で行動できるぼくは一緒に行こうとなる人がいませんでした。学校内でのつながりはありましたが、性格上、自分から「友達なろうぜ!」「一緒に行こうよ!」となることはなかったです。シャイということもあったし、なんか漫画みたいな「友達なろうぜ!」セリフが寒い寒い。

 

友人って、カレーのようにじっくりことこと出来上がっていくもんじゃないですか。

「気づけばこいつといつも一緒にいるなぁ」みたいな関係が素敵だし至高。それ以外はどこか「浅い関係」と思ってしまいます。

ぼくの場合、「9カ月間は働いて金貯める」と決めていたので学生生活は3カ月と確定していました。

 

そして生徒の出入りが激しいクラス。クラス替えは月1,2回ありました。

ぼくは当時の担任が教師として好きだったので、「この人のもとで、振る舞いとか気遣いとか、授業の展開とか学ぼう」と、一つのクラスに入り浸ってました。もう一つ上の上級クラスに行かないですか?というか薦めがあったのですが、ハハハとスルーしてました。新しい環境に行ったところで慣れるのに時間かかってそれが負担になるのも嫌でしたし。

 

そうそう、放課後のアクティビティの話。

そのため、一人で行って、運よくそこにぼくと同じような境遇の人がいれば、つながる。で、アクティビティが終われば「じゃ」と解散する、ものすごく淡白な人間関係を築いていました。

 

今なら、当時の自分より社交性は磨けているので、淡白な人間関係で終わらず、「何かに繋がるアクション」を起こしていると思います。

大学院生活にも言えます。

ストレートではなく、現職として院生をやっていれば、いろいろと見え方が違うので、行動が変わっていたのだろうなぁとしみじみ思う、そんな月曜日。

 

明日から学校。4日だけ行けばいいってラッキーですね。