自分に合わない場所であってもするべきこと

以前、県内屈指の進学校の話を書きました。これは二郎系ラーメンを食べながら書いたブログのため、味覚・感覚的に、ある意味しっかりと記憶されています。

coffeenchickensalad.hatenablog.com

 

進学に特化すると、場所によっては「教員間がギスギスしていることもある」と聞きます。

 

あまり表には出ていませんが、全国的にそんなもんなのかなと納得しています。

進学率競争主義のシステム上、そうなるのは必然だろうなと。

 

「ブランド」「実績」がどうしても付き纏うため、「昨年度より劣ることが許されない雰囲気」がそこにはあります。実績が伴わなければ教科をまたいで、もしくは担任をまたいで、大袈裟に言えば「村八分」が、盛ることなく言えば「軽蔑」があったりなかったり。「学校の顔に泥を塗りやがって」と非難する文化が常態化していてもおかしくないです。

 

そんな職場環境が許容されている時点で完全にアウトですし、管理職は一体なにを管理しているのかなど、いろいろと疑問を抱かずにはいられませんが。。

 

「目先にぶら下がっている人参(偏差値の高い大学合格=幸せ)に向けてひたすら走り続ける教育方針」は、「長期的なスパンで子どもたちの人生を見つめ、一生涯の幸せを目指す教育方針」なんかと比べたら、スケールが驚くほどに小さく、滑稽そのものであり、その光景を目の当たりにしたなら、お酒を飲んでいたとしても自分なら3秒で素面になる気がします。

 

大学至上主義高校に赴任したとき、自分と考え方が違い過ぎて、その文化に馴染めずにドロップアウトするのが安易に予想できますが、それを防ぐ唯一の方法は、「職場内に仲間を作ること」なのかなと思います。

どの集団にも言えることですが、だいたいは2:6:2。

2割がそういった強い「思想」をもっていて、残りの8割は「どっちでもいい」か「断固たる反対」のいずれか。この場合、ぼくはおそらく反対派にあたるのですが、その中の2割と仲良くしつつ、6割の中立派とうまくやっていけば、どうとでもなります。

 

「むっちゃわかる」と悩みを相談し合える同僚をつくることが大事で、「ちょっと一緒に動いてみようか」と新しい風を吹かせる仲間をつくることも大事。

 

そんな感じで、のらりくらりとやっていけたらと、「非常事態時」の自分に備えて記録した、そんなブログでした。