動物園で関わり方の本質について考える

今日は県内の動物園に行ってきました。

 

 

4月に子ども関係の手続き(マイナンバーなど)を役所でしたときに、市の特典で動物園や博物館の入園/入館無料券をもらいました。雪が降り出したら絶対行かなくなるだろうなと思い、期限が切れる前にまずは動物園に。博物館は雪関係ないのでまた今度ですね。

 

 

今日行った動物園は自分がこれまで行ってきたものとはちょっと違っていて、とにかく敷地面積がデカすぎました。たった数種類の動物を見に行くために300mは歩くという、そんな感じ。健康志向な自分としては良い運動になったので満足してます。園内だけで6000歩近く歩いてました。4km以上の散歩、善き哉。

 

 

0歳の子が動物という生き物を見たところで「すげぇ!」「怖い..」「触りたい」というようなリアクションはもちろんありませんが、「家族と過ごす時間」という意味では大いに価値がありましたし、「この子が大きくなっても毎年来るんだろうね」と妻と話してました。動物は好きなので大歓迎です。

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もちろん動物園という「生き物の見世物的エンターテイメント」にはいろいろ思うところがあるので少し複雑な気持ちはありますが、子どもが大きくなったらそのグレーゾーンについても、家庭教育の一環で一緒に考えたいと思ってます。

 

 

なんて書いといてあれですが、ツキノワグマを生で見れたときは感動しました。人間慣れしているのか、岩にもたれかかりリラックスしながらこちらを見てましたが、可愛いとか大きいという単純な感想の前に、「これがあのニュースに出てくる熊かぁ,,」という、有名人に会ったときのソレと似てる感情が芽生えました。

一人で来てたら1時間は熊の観察に費やしていたと思います。それくらい熊には特別な感情があります。

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また、マガモキンクロハジロカルガモオシドリ等が一緒に入った大きな檻を見て気づいたのは、それぞれの鳥がそれぞれの種同士で固まって暮らしていたこと。仕切りのない開放的な空間なのに、異種同士関わり合いはしないんだなぁと。

人間に置き換えれば、「邦人or異邦人」になりますが、ぼくらは海外の人とも関わりをもちます。

 

 

でもこれは内外発的な作用で関わっているだけで、本当は「そういうのがなければ特に関わることはしない生き物」なのかなとちょっと思ってみる。