生徒から、ぼくの授業での語りが掘り返されることがあります。
たとえば7月のいつもの授業で、集団の雑談が雑談を通り越してただのおしゃべりになってることがありました。おしゃべりをしちゃいけないとは言ってませんが、その質があまりにも授業と関係なさ過ぎたんです。すぐに収まり、課題の話に戻れていれば問題ないのですが、ずっとその低レベルなおしゃべりのままでした。
だから最後の語りで、「餃子」に例えて話したことがあります。
ほら、餃子はおいしい食べ物じゃないですか。食べている本人は幸せです。
ただ、ケアをしないと口から発せられるニンニク臭のせいで、周りの人間は不快感を覚えます。ただそこには決して悪気があるわけではなくて、本人たちは自覚のしようがないのです。どのくらいのレベルの口臭が発せられているかなんて、第三者じゃないと感じることができないのがニンニクの怖いところ。本当わからないんですよね、あれ。
そういう点を踏まえたうえで、「自分らの雑談の声量とか内容、周りに与えている影響、結構すごいから気を遣った方がいいよ。集中して課題に取り組んでいる人、言わないだけで実は不快に感じているかもしれないしね」と伝えたことがあります。そのあとはわりかし声量をおさえて話すようになったのですが、時折、今でもネタで使われたり、なんならパロディ化してます。文脈関係なしに切り取られて(笑)
他にも夏休みの補習で。
あるクラスの学びの雰囲気が、もう破綻しているというか、無法地帯そのもので、ただただ騒がしいだけの回がありました。
最後のの語りで、「今日の授業は動物園と変わりなかったです、冗談抜きで。一人一人が目的もなくただ鳴き合っているような、そんな感じでした。」と率直にその日の状況を伝えた回がありました。
そのときの語りを切り取って、生徒同士でゲラゲラ今でも笑い合っていたります。
もちろんみんながみんがそうではなくて、一部っちゃあ一部。
響いている人には響くし、響かない子にはおそらく5年、10年と年齢を重ねても響かないと思ってます。
高校生だからこんなもんかなとも思います。
精神的にまだ幼いので、小さなことでもネタにして身内で笑い合いたくなるもんでして、高校生の自分もしてたと思います。なんなら大学院生、いや、大人になった今でもしてるかも。もちろん、本人を前に公には披露しませんが。
それに、自分もたまに、斜め上の例え話・発想をすることがあるので、それが万人受けしないのも無理はないなと。まあそういうもんだと捉えておきます。