文理選択って必要なのかしら

5カ月前にこちらの動画を見つけました。「むちゃくちゃ(働いている自治体の方の)地元の定時制高校だわ!」と驚いたっきりで、ブログで触れてなかったことを不意に思い出す、そんな今日。

 

6分程度の動画です。時間がない方は、音声だけでもいいので「ながらリスニング」で内容を把握するといいと思います。功績がすごすぎます。

9つの学問を究める16歳スーパー女子高校生 小4で英検1級、中国語は2か月で習得 次の目標は「ロシア語」【ゲキ推しさん】|TBS NEWS DIG - YouTubeyoutu.be

 

もともとは「自分のペースで勉強したい」と考えていたため、高校進学は考えていなかったそうです。でも、わりと融通が利く定時制高校へ進学したことで、どんどんその才能を開花させていっています。週一の通学制に籍を置いているようですが、理由としては「外の世界と触れ合うことがなくなると生活が単調になるから」だそうです。自分のことを早い段階で分析できていて、本当、「子どもという子どもはいない」の言葉の意味を体現していて、脱帽です。

 

高卒認定試験も入学5ヶ月で合格しているので、残りの学生生活は本当にやりたいことに邁進してほしいですね。

 

将来的には、どんなことにも精通している「ジェネラリスト」を目指しているそうです。今の時代、何かに尖がっていることが重視される風潮にありますが、逆に「全方面において精通している」こと自体が尖がっているって言ってもいいんじゃないかと個人的には考えてます。

 

そういえば高校(普通科)に行けば、文型と理型に分かれますが、あれってそもそも必要あるのかなと思ってたりしてます。2つに分けることで、その人の可能性を狭めているような気がしなくもないですし。

とはいえ、「必要のない学問」に時間を割かないようにするために、あるいは、一つの才能をとことん尖がらせるためには仕方ないことなのだろうと、社会の動きを見ていると思います。

 

でも大学に行けば、一般教養というものが復活します。学生が専門領域を学ぶにあたって、その理解をより深める役割を担い、また学問的視野を広め、新しい知見の構築にも役立つという名目です。高校の頃に戻るんかいな、と。

 

大学生の頃は、正直なところ「修得単位の埋め合わせ」として受講してました。その中でも「社会言語学」と「宇宙の科学」だけは興味をもって学ぶことができました。

でも、大人になった今、金融・経済・心理学・栄養学など、多方面に興味をもつようになりました。これは大人になった今、「型」から解放されたことで自由に学びたいという反動によるものなのでしょうか。それとも、教師という職業的な性なのでしょうか。

 

学校という学びの場所に文理選択がなく、大学選びも"型"に執着する必要がなかったら、また違った人生を歩んでいたのかもしれませんね。