今週の振り返り

育休に入ってからは悠々自適に過ごせてます、今週なんかは特に。

 

父としてしなければいけない育児に関わることをすべてこなした上で、アマプラで映画を観たり、読書をしたり、筋トレをしたり、スイーツを作ったりと、育休前よりも時間的にゆとりをもって過ごせてます。

 

以前なら、週末に関しては半日は部活に時間を取られていただろうし(運動は好きなのでそれはそれで良いのですが)、それこそ休日なのに授業準備をGoogleDriveにログインしてやっていただろうし。月によっては模試監督の日もありました。

 

そういった業務が一切なくなったのは嬉しい反面、どこか寂しさを覚えるのも正直なところで。たった4年間、されど4年間の現場勤務。もし自分が、「仕事大好きマン」だったり「勤務歴が長いベテランマン」だったのなら、この違和感に慣れるのはもう少し先だったのかもしれません。

 

 

曜日感覚はまだ狂ってはいませんが、短いようで長いこの休みに対して、「大きな宝くじに当たったときの金銭感覚」と似たようなものを感じてます。宝くじにはマックス1000円しか当たったことがないので断言はできませんが、「使っても使ってもそう簡単にゃ減りやせん」というあの感じと、「どんな過ごし方をしてもまだまだ休みは余っているし、全然取り返せる」というこの感じは似ていまして。宝くじを当てて最終的に自己破産の末路を迎える人と同じような余裕ぶりを味わっている気がしてなりません。

 

今日なんかも、起床は10時でした。むちゃくちゃ怠けた日曜日です。育休前は休日があまりにも貴重過ぎてこういう過ごし方はしたことがありませんでした。

ヘルスケアのために身に着けている指輪のデータを見れば、おむつ替えや夜泣きをなだめるために、今日は1時、3時、6時と起きていたようです。細切れ睡眠に慣れるにはもう少し時間が必要みたいです。日中、どうも頭がボーとしてしまいます。

 

不規則な生活を強いられているためか、平日も起床は8時以降になっています。仕方ないといえばそれまでですが、起床後の過ごし方もどこかパッとしないです。ONとOFFがなく、緩く時間が過ぎていき、気づけば夕食の時間になっています。少しマズいよなぁと危機感をもってます。

 

さて、ぼくは昼食はとらない食生活なので、昼に眠くなることはほとんどありません。昼に寝るってどんな感覚なのかすら忘れています。そこで、この育休期間は、夜の睡眠時間がどんなに短くても、どんなに眠くても朝の6:30には必ず起床し、活動しようと考えました。

朝のオムツ替え後、眠気覚ましにそのまま着替えて朝散歩すればいけるんじゃないかなと…少なくとも二度寝は避けられる気がしてます。

で、おそらく眠くなるであろう昼過ぎに短い昼寝をしてから午後を過ごすという、新しい生活に切り替えてみようと思いまして。そうでないと、このだらけた生活が続いてしまいそうでそれはそれで怖い。

 

育児にだけ注力するのも一つですが、時間的にゆとりは作れてます。時間の有限さを意識して、この1年で自分がしなければならないことを見直して、コツコツこなしていきたいなと強く誓った日曜日でした。

スマホと一緒で人間もアップデートが必要なんだなぁなんて。

 

 

そういえば一昨日、花見してきました。息子は寝てるだけだったんで、結果的に親の自己満になってしまいましたが、桜が見頃で良かったです。

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呼ばれたいように呼ぶでいい

これまで2校の学校にて勤務してきましたが、どの学校でも共通して、生徒を呼び捨てすることなく、「苗字+くん/さん」で呼んでいました。

呼び捨てはおそらく、ほぼしてないです。

2回以上呼んでも反応がないときなどは、大きめな声で呼び捨てはしましたが、基本的にはしないようにしてます。どこか高圧的な感じがして、どうしても呼べないようで。

あだ名でも基本的には呼びません。

 

ただ、学年の中の数名の生徒には、「周りがそう呼ぶから自分もそう呼んでおこう」となっていた子がいて、そういう子にはぼくもあだ名呼びしてました。

 

そのスタイルで良かったと今でも思います。

 

200名の生徒の顔と名前を一致させるには、不変的な名前をまずは覚える。郷に入っては郷に従えではないですが、生徒に応じてあだ名呼びもする。

これが一番というか、無難でした。

 

最初にあだ名で覚えてしまうと、そのあだ名呼びしてない先生が正式名称で大事な話を始めたり進めたりした場合、ぼくが咄嗟に反応できなかったと思うので。

 

でも今思えば、どう呼んでほしいか、せめて自分のクラスの生徒くらいは個人的に聞いておき、リクエストに応じて呼んでおけばよかったなぁと振り返ります。

まあ、余裕がなかったのでそうはいきませんでしたが。

 

自分が大学院生だったころは、ゼミの指導教官に「どう呼んでほしい?」と最初に聞かれ、「そのまま下の名前で呼んでいただければ大丈夫です」とお願いしました。なので、ぼくは特に面白味のない名前で2年間呼ばれ続けました。

ゼミ生の中には「ちゃん付け」を要求してた人もいましたが、それはそれで微笑ましかったです。そういえば現職には「苗字or名前+さん」という独自ルールがあったな。

 

 

昨年度1年間過ごして思ったのは、「生徒のフルネームは勝手に覚えていく」です。

 

授業、成績処理、生徒との雑談など、日々の生活の中で勝手にインプットされていくので、あだ名&フルネームの2種類どちらにも対応できる脳になっていたよなって振り返ります。

 

年度当初は「名前覚えれるかな」と不安でいっぱいでしたが、あんまり気張っていかんでもよかったし、あだ名で呼ぶという、ゆとりというか遊び心というか、文化・ポリシーはあってもよかったかもしれません。

 

次年度以降、そうしようと思いました。

サロンメンバーさんと話してみて

3月下旬に、自分が入会しているオンラインサロンのメンバーさんとビデオ通話しましょうとなり、いろいろお話をさせていただきました。

 

内容を忘れてしまう前に自分用に記録をば。

 

子育ての話がとても印象的でした。

 

その方はお子さんが2人いるのですが、ぼくの方から「お子さんが小さかった頃、夫にもっとこうしてほしかったというのがあれば教えてください!」と、質問をしました。

 

「私的には、子どもの夜泣きや授乳中は夫も起きててほしかった」

これはそれぞれの夫婦間のルールに依るので、全夫婦に当てはまるわけではないのですが、夜中の妻の孤独感は計り知れないと思います、特に授乳中は。本来であれば寝ているはずの時間に一人起きてるわけですから。それに自分と夫の「二人の子」なのに、結果的に「一人」で面倒を見ている状況になってしまうのも、なんか引っかかります。そういう意味では夫も一緒に起きてほしかったそうです。

 

私の家では、目安としては3時間に一度、オムツ替えとミルク(母乳)を与えることになっています。つまり、夜中の2時や3時、朝方など関係なく、子を育てるためには親は起きなければなりません。幸い、母乳を飲む子として生まれた我が子は、すくすくと育ってくれてます。妻が否応なしに夜中に起きざるをえないわけですが、妻は「一緒に起きても起きなくてもどっちでもいいよ」と最初に言ってくれました。でもぼくは起きるようにしてます。「ここで寝てたらなんのための育休だよ!」というのがありますし、何よりやはり妻に孤独感は与えたくないです。

 

たまに「授乳中はパパは何もすることないけど一緒に起きないといけないのかな..」というコメントをネットで見ますが、「そんなことある?」と内心思いました。

 

ぼくは、オムツ替え後はそのまま寝ることなく、自分ができることをしてます。台所に乾かしてる食器を棚に片付けたり、干しっぱなしの洗濯をたたんでしまったりと。あとは授乳中の妻に一言二言声かけをしたりなど。授乳が終わったら一緒に寝るようにしてます。「義務」で動いているという意識はなく、片付いた状態の方が次の日に良いスタート切れるよねという考えで、ものすごく合理的に動いてます。そういう点では、「何してたらいいかわからないなんてこと、ある?」と思ってしまいます。

 

 

「昼寝する時間があるといい」

体力勝負の子育て、そしてどうしても母親の負担が増えるのが子育て。パパ側が、どれだけ母親の身の回りの仕事(雑務、家事など)を担えるかが鍵だよなと改めて感じました。一人暮らし歴が長いので、ここでその経験が活きてきてるなぁと実感してます。「言われる前に動く」です。

 

「二人の子ができるとまた負担感が変わります。子ども一人だとなんとかなりますが..」

今は二人で一人の子を見れています。そして、かなりゆとりを持って過ごせてます。でも、子が二人になると負担感が全然違うとのことでした。子育てしてて感じるのは、親2:子1が黄金比(もちろん祖父祖母もいたらなお良し)で、もしこれが2:2になると正直どうなるのかなと時折不安に感じます。身寄りが近くにいないため、二人目以降の子を授かったとき、必ず直面する問題ですが。どうにかするしかないよね、が今のところの答えです。何事もどうにかなるとは思っているのですが(#なんくるないさシンキング)、どうにかなるまでの道のりが険しいはずで。。

 

 

「子育ての方針はなるべく揃えた方がいい。グレーゾーンを作らないように」

たとえば、「厳しめの父」と「甘めの母」の間で子が育つと、子は必ず母親の方を頼るようになります。子に好かれるのは良いかもしれませんが、結果的に自分の首を絞めることにつながります。「なんかあったらママ!」という風に。

今のうちに教育方針のすり合わせはしておこうと思いました。「同じ教育観をもつ」は育ってきた環境が違うので難しいとは思いますが、方向性だけでもせめて揃えたいです。

 

ESBI

『金持ち父さん貧乏父さん』をまだ読んだことがなかったからか、こちらの言葉は初耳でした。人が収入を得るには労働収入と権利収入があり、4つのモデルから構成されているよというもの。

自分の子には、「従業員としての働き方以外にもいろんな働き方があるんだよ」と口で伝えるだけでなく、実際にその「いろんな働き方」を背中で教えていけたらなぁと強く感じました。

ESBIを知ると働き方の考え方が変わりますよ! | Life-With-Music

 

1時間のビデオ通話でしたが、多くの学びを得ることができました。ありがとうございました!

『Winny』を観て

ずっと気になっていた映画をアマプラで観ることができました。

あらすじはこんな感じ(公式サイト引用)。

2002年、開発者・金子勇東出昌大)は、簡単にファイルを共有できる革新的なソフト「Winny」を開発、試用版を「2ちゃんねる」に公開をする。彗星のごとく現れた「Winny」は、本人同士が直接データのやりとりができるシステムで、瞬く間にシェアを伸ばしていく。しかし、その裏で大量の映画やゲーム、音楽などが違法アップロードされ、ダウンロードする若者も続出、次第に社会問題へ発展していく。
次々に違法コピーした者たちが逮捕されていく中、開発者の金子も著作権法違反幇助の容疑をかけられ、2004年に逮捕されてしまう。サイバー犯罪に詳しい弁護士・壇俊光三浦貴大)は、「開発者が逮捕されたら弁護します」と話していた矢先、開発者金子氏逮捕の報道を受けて、急遽弁護を引き受けることになり、弁護団を結成。金子と共に裁判で警察の逮捕の不当性を主張するも、第一審では有罪判決を下されてしまう…。しかし、運命の糸が交差し、世界をも揺るがす事件へと発展する——。

なぜ、一人の天才開発者が日本の国家組織に潰されてしまったのか。
本作は、開発者の未来と権利を守るために、権力やメディアと戦った男たちの真実を基にした物語である。

 

実際に日本であった話です。

 

“殺人に使われたナイフを作った職人が逮捕される”と同じ事態が過去に起こったわけです。裁判ではその正当性について争われました。

 

ぼく自身パソコンやソフトの知識はないですし(むしろ苦手)、Winnyを使用したことがないのですが、予告をきっかけに事件の内容をしつこく調べるようになっちゃうくらい、何か惹きつけられるものをそこに感じました。

 

天才かつ純粋無垢な金子さんの生き様がとても愛くるしく、でもそれが足を引っ張り、国家権力に丸め込まれるというシーンには胸が痛みました。このなんとも言えない気持ちは、映画を観たら込みあがってくるはずです。

 

Winnyの裁判をしている最中(無罪が出るまでの実に7年!)に、アメリカではYouTubeiTunesなどの(今では超有名な)新しいサービスが生まれていました。

無罪判決から1年7か月後に、金子さんは急性心筋梗塞で42歳でこの世を去りました。天才が再び技術者として過ごせたのはたったの半年程度だったそうです。

 

金子さんがもし逮捕されずにいたら、日本にはイノベーションが起こっていたかもしれません。(不当な)逮捕によって日本の優秀な技術者が委縮してしまったことを考えると、やるせないです。金子さんに続いて新しい天才が生まれていたかもしれないのに、と。

 

日本の、特に若者たちに向けて金子さんが放った言葉が印象的です。

「ソフトを作っただけで捕まることはなくなったと思うので、若い人たちは頑張ってください」

『筋肉を足して脂肪をとる!除脂肪筋トレ』を読んで

アラサーですし、また、自分の生活を見直すのには良い機会なので、読んでみました。

 

日々、トレーニングはしてますが、独断と偏見と毛の生えた程度の知識で継続しているため、たまに膝痛が起きたり起きなかったり。筋肉の回復を待たずして、ひたすらに追い込んでいたんだろうなと。

 

また、タンパク質、脂質、炭水化物の栄養の知識も乏しいため、うまく筋肉肥大化に繋げれてなかったことを本を読んで痛感しました。

 

そういえば、昨年度はひどい冷え性とそれによる便秘に悩まされた1年でした。筋肉は体を温める作用があるのですが、筋肉が少なくると冷え性にもなるんだとか。となると、冷え性(もとい便秘)の原因は筋肉の減少だったのか?とここにきて妙に納得。

 

運動をしっかりしていたつもりなのだけど、1日1食生活とうまく合わなかったかもしれません。2年前は人間カイロと言われるくらい温かい体質だったのですが、どうしたもんか。

 

この本では、「1日1食生活はするな」とは書かれてませんが、複数回に分けて食事をとるようにとは書かれてました。

ぼくとしては、1日の食事回数を1回におさえた食生活(ドカ食いはしないで)がものすごく合っていて、そのうえで筋肉隆々ボディをつくり上げたいと考えてます。

 

ただ、必然的に栄養面で不足が生じるので、そこをどう克服するかが課題だよなぁと読みながら悩んでました。この本を参考にしながらも、別の栄養に関する本を読んで、自分が納得できる地点に着地できたらいいですね。