怒ることを起こらないようにするために

「人が感情的に怒るのは自分の利害に反するときだけ」という言葉には納得しています。大学院でお世話になったゼミの先生の言葉です。

 

不意に振り返れば、高3で部活を引退してから相手に怒鳴っていない気がします。

とはいっても、自分の性格上、鬼教官のように怒鳴り散らすことは、部活に所属していたときもなかったと記憶しています。叫ぶことはありましたが。でも、それはラグビーという競技上、仕方ないことだと思います。

 

自分が怒鳴らない理由。

1つ挙げるとしたら。

 

大前提として、小学校時代の経験がやはり大きい。

ゼミの先生の言葉に納得はしているのですが。

 

小2の頃、当時のガキ大将からいじめを受けていました。

背中に乗られまるで馬扱い、教室中を跪いて歩かされたり。

身体をぶたれたり。

給食の配膳で、嫌いな大根おろしをこれでもかってくらい山盛りにされたり。担任の方針で、盛られたものは残しちゃいけないという、今思えばなんなんそれというルールがあったため、昼休みを犠牲にし、教室で一人食べました。最終的に嘔吐しちゃったんですがね。。

 

そういう境遇の中で、もし自分が「怒鳴る」という反抗行為をすれば、周りからはからかわれるんじゃないかという思考に辿り着きました。そうなると、なんだか負けた気がするから、「笑顔でいよう」「怒りの感情を出さない余裕さを見せよう」というちょっと歪んだ考えが芽生え、ストレスの強い環境下でも、人前では笑っていることができるようになっていました、そして今でも。

あ!決して失笑恐怖症とかではないです。

 

まま、ぼくの場合、そういう経験が起源だったりします。

 

「お前のために叱っている」

 

冒頭にもあった「人が感情的に怒るのは自分の利害に反するときだけ」という言葉をベースに考えれば、「お前のために叱っている」と言いながら感情的に怒る行為は、相手のことを実は考えていないことになります。

本当に相手を考えているなら諭すように話すはずなので。

 

怒らないようにするためには、「自分の大事にしている利害を侵されないようにする」ことがキーみたいです。

 

心が広く怒らない人は、そういう心構えが自然とできてる人なんだと思います。ぼくは体質・性格・経験上、そうなっていますが、意識的にそういう考えのもと怒らない人間になりたいものです。

 

とは言っても、「イラっと」することはたまにあります。

 

それこそ生徒を相手にしていると、高校生=未熟過ぎる大人ゆえ、自分の目の前で行われる言動に「マジで言ってんの?」「デリカシー以前の問題じゃないなこれ」となるときはあります。「相手にその態度、人としてどうなの?」と、イラっとを通り越して心配になることもあります。

 

そういうときは、「ま、いっか」と流すこともありますし、度が過ぎてれば「気を付けた方がいいよ、いや本当冗談抜きで。結構ヤバいよ」と引き気味に伝えるようにしてます。

 

でも、高校生相手に怒らないのは、自分の中で「高校生ってそんなもんか」とどっかで境界線が引かれていること、「むしろその言動をぶら下げた状態でいったんツラい思いをさせた方が教育的価値が高いんじゃないか?」という冷たい教育観があるからなのかもしれません。人が人を変えるのは難しいですし。

 

「やった方がいいよ」と言ったところで「やらない」を選択した生徒はとことんやりません。その先に大損が待ち受けていたとしても。

それならその損をモロに受けて、ダメージを受けた方がいい。

その経験から結果的に変わろうとするならぼくの狙い通りだし、変わろうとしないならまだダメージが弱いんだろうな、と思います。