夢見心地をさせない数学

日々、英語で『学び合い』をしているのだけど、教科的には数学の方がやっぱやりやすいんだろうなぁと思います。というか、生徒にとっても、「数学こそ『』のスタイルで!」と思っているような気がします。

 

数学は言語教科とは違って、かなり複雑です。

英語に関しては、極端な話、「こういう意味の単語と文法がある、だからこの文の意味はこうなる」で解決します、極論ですが。

分かった気でいやすい教科でもあるような気がします。

 

一方数学は、文章があって、公式・定理があって、定義があって、条件があって、数字があって。

なんでその公式を使うのか、なんでそのタイミングでその式になるのか、なんでその条件がここでは適用されるのか、そういった理由とか経緯とかを納得する必要がある教科だと思うんです。

自分の中でそういったもんを本当の意味で納得できたとき、初めて自立して解けるようになる分野だと個人的には思っていて、「分かった気でいられる」という夢見心地を一番なくしてくれる教科なんじゃないかと思うんです。数学が苦手な自分はマジでそう思ってます。

 

永遠に突き詰められる教科だよなぁと。

 

授業が終わった後も、生徒同士で「さっきの問題、なんでこうなるんだろう」と議論し合っている様子を見ると、「数学で『』をやれば、もっとおもしろいものが見れそうだ」と思わずにはいられません。

 

もちろん、自分の英語の時間でも、お互いに鼓舞し合ったり、「なんでこの意味なん!」と議論しているコミュニティもあって、おもしろいのですが、数学の方がもっと活発になる気がします。

 

数学と『』、この2つが頭に浮かぶたびに、「高2に戻れたら、、」と回想します。学年が上がったことで問題のレベルが上がったこと、教科担任と合わなかったこと、それで萎えてしまい、「分からない」を放置していたこと。成績はあれよあれよという間に下がっていく一方でした。

 

授業中に友達に聞けていたら、きっと何かが変わっていたはずで。

多種多様な人間関係の中で、いろんな発見があったんだろうなぁと遠い目をします。

 

過去には戻れないのに、まだそんなダサいことしてるんだ自分、と時々自分が恥ずかしくなります。まったく困ったもんですね。

 

そうそう、ぼくの中で「数学」と言えばこの画像。

まさにそうだよなと思うし、この世の真理とさえ思います。

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