ジンクスになるからあまり言いたくない彼らの成長

2年生の担任をしているということもあって、全授業17コマ、万遍なく2学年全クラスの授業に出ています。

夏休み終了日である8月31日を機に、生徒がなんだか「落ち着いた」ような気がします。

 

4月に彼らと出会い、お互い手探り状態で自分をさらけ出してきたわけですが、良くも悪くも「元気」「やんちゃ」「声が大きい」、そんな印象をぼくは彼らに持ってました。

 

これからの社会の話、生きる上で本当に大切なこと、ぼくが授業で大事にしていること、そういったことを語っていても、全体にうまーく浸透していないそんな印象がありました。「け!なんか言ってらぁ!」と思われていたような気がしなくもないです。

 

でも、夏休みがおわり、9月に入ってから、全体的にどこか落ち着いたといいますか、地に足がついているといいますか、ぼくから見たらものすごく大人びてきたなぁという印象があります。

こんなにも人は、しかも全体的にパッと変わるものなのか?という、若干の不気味さすら感じられますが、きっと「人が変わる」ってそういうものなのでしょう。

 

理由はさっぱりわかりません。

 

人それぞれ、刺激を受ける場所、タイミング、内容、きっかけ、すべて違いますからね。

ぼくの勝手な憶測ですが、学年でというより、各クラスに夏休みで改心した人が何人かいて、改心しきれなかった人がその人たちの影響を今まさに受けて、「変わりつつある」のかなと踏んでます。希望的観測ですし、なんなら思い違いですらあるかもしれません。

 

「君ら変わったよ、良い意味で」と彼らに言えば、ジンクスとなり、これまでの「魔法」が解けてしまいそうな気がして、堂々と言えていませんが(うっすらと授業中の話の中で匂わせてはいる)、本当に変わったなぁとつくづく思います。

 

1学期の自分を含めたいろんな教員からの指導とかお話とかが、今になって芽を出し始めたのかなと思えば、それはそれでモチベーションが上がりますが、きっとそれ「も」あるだけで、いろんな要因が重なった結果だと思います。

 

教育って本当、不思議なもんですよね。

 

内田先生の『街場の教育論』を思い出します。

正直に言うと、教育というのは「差し出したものとは別のかたちのものが、別の時間に、別のところでもどってくる」システムなのです。喩えて言えば、キーボードを押すと、ディスプレイに文字が出る代わりに、三日後に友だちから絵葉書が届いたとか、三年後に唐茄子を二個もらったとか、そういうどう迂回したのかよくわからないような「やりとり」が果たされるのが教育というものの本義なのです。

 

久々に読み直したくなりましたね。