『Chat GPT翻訳術 新AI時代の超英語スキルブック』を読んで

この本との出会いは2カ月前の職員室のパソコンにて。

 

学校事務が太っ腹なのか、研究図書みたいな感じで各教科の先生に「欲しい本があれば必要事項を記入して提出を」という回覧がまわってきました。

 

どうせ教科の先生間で読みまわすのだろうと思っていたので、「最近ChatGPT系がアツいよねぇ」「教科は英語だから英語じゃないとダメなのかなぁ」と誰に聞くでもなくアマゾンで検索し、上位にランクインしていたこちらの本を見つけました。概要を深く読んだり、Youtubeで要約チャネルを探すこともなく、直感で「これだ」と決め、必要事項を記入し提出。

 

2週間後にこの一冊が自分の机上にポンと置いてありました。どうやら読みまわすものではなく、個人に与えられるものでした。なんと!

来年度以降、しっかり下調べて注文しようと思いました。

 

現場で働いていると、本をゆっくり読む時間を確保することは難しいので、そういった意味ではじっくり読める「今」が本当にありがたいです。

 

この本はChatGPT×翻訳に関する内容で、プロンプト集みたいな感じでした。言ってしまえば、グラセフ(グランド・セフト・オートというクライムアクションゲーム。小4のとき、兄と一緒にPS2でやってました)で使うことができる裏技(チートコード)に近いと思います。「R1、R1、○、R2、上、下、上、下、上、下」と打てば「指名手配レベルを下げる」などのチートが多いのがこれまたゲームを楽しくさせるわけですが。

 

カンマ区切りのcsv形式で、「**用語1(日本語),用語1(英語)**」にキーワードを入れたりして、プロンプトを工夫して指示すればより精度の高い翻訳を行うことができるなどの内容が書かれてあって、現場に戻るまでに使いこなせるようにしておきたいなと思いました。自分の授業準備でどのように使うかも今のうちに固めておきたいですし。

 

ただ有料版前提で書かれているので、無料版でどこまで対応してもらえるかが鍵ですね。有料版だと現在約2700円/月なので、継続的に使うのは難しいですし。ただ、クオリティは変わるかもしれませんが、BingやBardにもこのプロンプトは対応しているっぽいので、GPTに固執しなくてもいいのかなって思ったみたり。

 

そしてこの本を読む前からずっと疑問に思っていたことがありまして。

「そもそも英語って学ぶ意味あるのかな?」です。英語の先生してるのに何を言ってんだという話ですが、英語の先生だからこそ必然的に湧く素朴な疑問でもあります。

 

ここまでAIが発達してしまった今、盲目的に「英語は大事だ」と信じて学び続けることに懐疑的になるのも無理もないです。

 

生徒に「英語を学ぶ意義」を伝えるのが難しく感じ始めていました。進学校なら「いや、君、受験で使うっしょ?」で誤魔化せるのですが、受験が関係のない人には、生きていく上で必要かどうかと問われれば「実はなくてもOK」が正答だったりします。

 

この本を読んだからといって、「すべての人に英語は不可欠」だという考えには1mmもなっていなくて、やっぱり、「全員に何か一つのことを強いる」ことは古臭い社会コードにしか思えません(授業中、建て前抜きにして、「全員が必ず身につけなくちゃならない学問ってないと思うけど」と本音を話したことがありますが)。

「必要な人、必要じゃない人はいるからねぇ」という考え方で物事を捉えるべきだという思考は以前から変わらず。

 

そのうえでのこの本を通した自分の見解はこんな感じです。

・「自力で言語を使いこなせる人」と「機械に頼って言語を使用する人」の二極化(中途半端に言語を扱える層は淘汰される社会)はほぼ確実に起こるので、学校で英語を学ぶという時間を取るのであれば、「翻訳機を通して言語を使いこなせるようになる能力育成」に時間を投資した方が合理的なように思えます。

 

機械翻訳やChatGPTの精度が人間より優っている事実をしっかり受け止めて、彼らを先生(Goodモデル)として学びを得る学習に舵を切るというのも一つの立派な学習方法だなと思いました。自分の作った英語と機械が作った英語の差を分析するなど。

 

・テクノロジーのおかげで英語レベルは今より確実に高水準になります。より高品質な英語を扱える人(翻訳者)の需要がますます高まるはずで。この本の例えで言えば「寿司」と同じような現象が起こるんじゃないかと。

回転寿司が世界中に広まることで、多くの人が日常的に中級レベルの寿司を楽しむようになりました。その中でも高級な寿司店で本格的な寿司を食べる機会を求める人々も現れるので、寿司の職人の存在価値は変わらない。

 

それにしても学ぶことが多い一冊でした。

 

「英語のこれから」を見据えたうえで、今後自分の授業をどうしていくべきかも考え直さないといけないですね。

どうしようもないことを楽しむ

ふと「脳内メーカー」というワードが頭にポッと思い浮かんだので、十数年ぶりにやってみました。2024年の自分は「遊」で埋め尽くされていて、まあ、その結果はあながち間違ってはいないよなと思う。

「遊」の意味通り、「人間が心のおもむくままに行動して楽しむ」ことを日々堪能できているので、「脳内メーカーだなんて、デタラメだよこんなの」と一蹴するのは早計ですよ、とさえ思えるくらいに心にゆとりがある4月中旬。

 

そういえば、高校生時代、まだガラケーでモバゲーとかグリーに没頭していた頃、脳内メーカーに自分の恋の行方を委ねていました。完全に委任していたわけではないですが、「あの子のフルネームを打ってと、、さて、どんなもんかな!」と、恋占いをしていたのは遠い昔の話でして。

 

その子の脳内が「愛」だの「恋」だの、それこそちょっと破廉恥な一文字がそこに書いてあれば、「これって自分のことを思ってるってことかな?!」と真に受けては自己解決し、自分のメンタルを良い方向に持って行っていたあの頃が結構好きだったりします。

 

あの頃の自分が、純粋にバカで、淡くて、単純で、可愛くて、愛おしくさえ思えます。

「たかがこれで、されどこれで」、自分の高校生活の青春の一部を彩っていたのだから感謝してます。脳内メーカーのし過ぎで、携帯にその月の通信制限がかかっちゃうくらい愛用してました。

 

大人になった今なら、「どう?ぼくのこと好きっしょ!いや、好きであってほしい!頼む!」と、冗談混じりで、捨て身で、でもシュート気味のストレートで感情を伝える高度なテクニックを持ち合わせているけど、あの頃はナヨナヨしていて、「若いなぁ、青いなぁ」と思う。

 

 

ところで自分の過去を振り返って、ふと思ったのは、令和に入った高校生には、こういったしょうもないことに一喜一憂する瞬間があるのかどうかだったりします。脳内メーカーみたいなうさんくさいものには時間を割かず、わりと現実的なのかしら。

 

老婆心で片づけるのもなんか野暮なので少しだけ書いてみようかな。

 

しょうもないことに一生懸命になって、みんなでバカ笑いし合うシーンを見る機会がなかったのが昨年度。生徒の休み時間中などにわざわざ職員室を出てうろちょろしないので、見るも何もないのですが。帰り道も一緒。生徒同士のそういったシーンを見ることはありませんでした。

 

生徒たちは、教師を怒らせない程度に羽目を外すことをしているのかな、なんて教師の自分が心配したりしてます、おかしな話ですが。その中に案外おもしろいモンが詰め込まれているのになぁと。

いや、きっと、生徒は生徒で、教師の見えないところで、いろいろ楽しんでいるのだろう。ただ、その楽しみ方の形が昔と変わっただけ。きっとそう。何も心配する必要はないか。

 

学校という場所は理不尽な制限の巣窟ではありますが、だからこそ、生徒からしたらおもしろい場所にする甲斐があるんよね。

 

 

『人はどこまで合理的か 上』を読んで

この本を買った理由としては、Youtubeかなんかでたまたま観ていた動画に、参考文献として紹介されていたからです。「おもしろそう」と思い、上下巻をすぐに購入し、家に届いたものをさっそく読むかと思いきや、積読現象に見舞われました。

 

この本と同時期に学校から借りた本(たしか小説だった気が)に気をとられ、そちらを読んでいるうちにこの本の存在自体を忘れていました。それに、この本が届いてすぐに数ページめくってみたら、「うわ、なんか書いてること複雑やんけ!」となったのも一つの理由です。

 

でも最近、手に取って読んでみることにしました。

 

というのも、世の中、国内外、いろんなことが起こり過ぎてて、頭の整理が追い付かないと言いますか、真実と虚偽が混ぜ込まれた情報に惑わされている自分をなんとかしたいなと思いまして。どうしても不安になってしまうんです。

 

地球上で人間は一番賢い生き物であるはずなのに、言ってしまえば愚かな行動や選択が多いこと多いこと、もちろん自分を含めて。フェイクニュース陰謀論、将来への蓄え(投資)を怠ること、国同士の消耗戦などなど。でもこういった事象には理由やパターンがあって、その仕組みを理解し、何かしら対策が取れれば、自分の中に立ち込める不安を取り除けるんじゃないかな、というのがこの本を再度手に取った理由だったりします。

 

ですが、本の内容は自分には難しかったです。確率を始めとした数学を使ったりして世の理を解説しているので、「理系に相当憧れているガッツリ文系人」の小生には、すべての内容を理解し咀嚼するのは不可能でした。そのため、「あ、この章は無理だわ」ってところは読み飛ばしました。でも、それくらいの向き合い方が自分に合っているなと改めて実感。

 

読み終わってみて感じたことは、読み始める当初目的としていた「自分を安心させる」は叶えられたのかなと思います。読み進めていくうちに出てくる「利用可能性バイアス」「犠牲者の言説」などを理解すれば、物事を悲観的に物事を捉えがちなだけだよねと妙に納得できる。とはいえ、悲観的な捉え方は行き過ぎなんかじゃなく、あながち間違ってないぞということもあるので、楽観のし過ぎもよくないが。

 

この本を読んで、これから習慣にしようと思ったことが1つ、自分なりに学んでいこうと思ったことが1つできました。

 

習慣にしようと思ったことは、ニュースの一つ一つにバイアスがかかっていることを前提に、情報摂取のバランスを取ろうと思いました。より大きな統計的全体像も把握したうえで一つ一つのニュースを見ていきたいなと。いや、流石に一つ一つは面倒なので、まずは気になったものから。

この本でも紹介されていた「Our World in Data」での閲覧数を意識的に増やしていきたいです。XやFacebookのニュースフィードに偏らないように。

ourworldindata.org

 

自分なりに学んでいこうと思ったのが、確率について。特に、「ベイズの定理/ベイズ推論」には力を入れてみたいと思いました。どんな内容かと言えば、「証拠の強さ」を扱う確率の法則らしく、新しい事実を知ったり、新しい証拠を観測したときに、「どの程度確率を修正するか(考えを変えるか)」を示す法則なんだそうで。

「この法則は日常的な推論で最も頻繁に無視されている規範モデルの一つで、もっと多くの人がこれを理解すれば、公共の合理性に大きな効果をもたらすはずだ」とも書かれています。

読み進めていくと「これは自分のためにも深く学んで損はないな」と判断しましたが、いかんせん、自分には到底理解が追い付かないものでした。解説動画などを視聴しても、「うーん..」という感じ。数回の視聴と本の読み返しでは納得できなかったです。悔しい。

 

「出来の悪い脳なのだからもっと時間をかけろ」ということらしいです。いやはや。。それでも、自分の中に取り入れたいと思えたので、ここはしぶとく食い下がりたいところです。

 

そんなこんなで、一応、上巻を読み終えたので、このまま下巻に進みたいのですが、お口直しに別の本を一旦挟もうと思います。

でも、良い学びのある本でした。

ねむむでボヤーな1日

今日はものすごく頭がボーとしてました。そのため、これといって何か成し遂げたわけでもなく意気消沈してます。

 

昨日は睡眠時間が2時間でしたが、しっかり朝6時には起床し、散歩ができました。散歩のおかげで、朝からキビキビ過ごせました。当初予定してた昼寝(パワーナップ)ですが、昼頃に眠くなるかと思いきや、眠気が来ず、そのまま夜まで過ごしてしまいました。おそらく、1日中ハイになっていたのだと思います。

 

そのせいか、今朝は5時のオムツ替え後、「6時に起きるぞ!」と意気込み、アラームをセットし寝ましたが、まさかの10時起床でした。3日坊主ですらなく、鼻で笑ってしまいました。

 

総睡眠時間も10時間を超えてて、あぁきっと長時間睡眠が原因なんだろうなと妙に納得。

 

明日、仕切り直し。

プチプチ同窓会

LINEの友達リストは、関わりがなくなった人からHideにしています。それこそもう5,6年は連絡をとり合ってない人や、そもそもの交友関係(親密さ)が薄かった人なんかがそれに当たります。少し古い表現かもしれませんが、いわゆる「よっ友」てやつでしょうか。

「今後関わる可能性は、、きっとないか!」と判断した人はどんどん友達リストから除外していってます。

 

人によっては「なんてドライなやつ!」と思われるかもしれませんが、友達リストをスッキリさせることもできるしオススメです。

決してブロックをしているわけではないので、全く連絡が取れなくなるわけではないです。

 

そんな今朝方、4時以降なかなか寝付けず、朝の散歩前に(#しっかり有言実行)スマホをいじってました。不意に、「そういえばHideになってる友人にはどんな人がいたっけ?」と思い立ち、そのページへ行き、ひたすらスクロールしてみる。

 

よくわからん公式アカウントを含めて100以上はあり、一つ一つのプロフ画像と名前に目を通しました。数年ぶりに卒業アルバムをめくってはしゃぐあの感覚と似ていて、朝から謎にワクワクしてました。おそらく寝不足ハイなんだと思いますが。

 

「ん?この人だれだっけ?」となる人が何人かいました。きっと、大学生の時に、細くつながっていたんだと思いますが、思い出せないもので。プロフ写真に載ってる顔を見ても思い出せないので、記憶から本当にいなくなったのか、はたまたその人の印象が変わったのか。

 

「うわ!苗字かわってる!結婚したんだ!」となる人もちらほら。ついでにお子さんの写真も載ってて、早い時の流れに呆気にとられたりもしました。

 

 

この時間のおかげで「よし同窓会を開こう!」とか「個人的に連絡をとってみよう!」とか、そういった行動欲は湧きませんでした。本当に、ただ、自分の中で予告なく勝手に開催されたプチプチ同窓会だったよって話。

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