『消滅世界』を読んで

村田沙耶香さんの『消滅世界』を読みました。

 

内容はなかなかに濃いもので、「セックス(性行為)という概念が(ほぼ)無くなった世界」「家族の形が完全に変わった世界」について書かれたSFです。

 

全ての人が「その世界の在り方」を肯定しているわけではなくて、「それっておかしいよね」と考えるマイノリティも一定数います。ただ、「性行為?あぁ、あの昔の人が行っていた変わった行為だよね」と、もはや多くの人の中では昔話と言いますか、名残となっています。

 

結婚というものも、「愛し合う2人がするものだ」という、我々からしたら正しいとする考え(一般論かもしれませんが実際そうですよね)がここでは否定されていて、そこには恋愛感情があってはならず、どちらかといえば「兄妹/姉弟」のような関係性に近いような気がしました。それが夫婦というものらしいです。なので、夫婦というパートナーシップを結んでいても、そういう関係性なもんだから、夫婦とは別に恋人を作ることが許容されています。一夫多妻制の考え方に近いかもしれません。

 

「セックス=穢らわしい行為」という考えが広まっている、そんな世界の動き。自慰行為でさえ忌むべきものとされています。「子はどうやって産むんだ?」という問題に直面するわけですが、ここは人工授精で解決です。そして成功例は少ないですが、男性も人工の子宮を体外に取り付けることで妊娠・出産できるようになりました。さらには「家族」というシステムを大きく変えた新しい社会の在り方を目指すようにもなりました。こちらは千葉県が実験都市になっています。この実験都市には、その新しい考え方に合意した人々だけが残ったり、別の居住地から移住してきて、一種のコミュニティになったます。強制的に暮らさせるようなことはありません。

 

心理学や生物学などのあらゆる観点から研究された新しい社会システム(家族というシステムの解体)で、人々は子供を育て、命を繋いでく社会システム。内容はこんな感じ。

 

・毎年12月24日、コンピューターによって選ばれた住民が一斉に人工授精を受ける(それまでは避妊処置がとられている)

・人口は増え過ぎず減り過ぎず、ちょうどいい人数の子供が生まれるように完璧にコントロールされている。

・人工授精で出産された子供はすぐにセンターに預けられ、下宿のような感じで15歳までそこで暮らす。子供たちは公園などのセンター外にも出ることができるので、他の大人と接することができる。

・生みの親は自分が産んだ子を見つけることは不可能になる。

・すべての大人(性別関係なく)がすべての子供の『おかあさん』となり、育てる。その子供らは『子供ちゃん』と呼ばれている。それぞれの子供に名前はない。『子供ちゃん』たちは街で遭遇した大人に対して、区別なく『おかあさん』と呼ぶ。

・街全体でヒトの子供というペットを飼っているような光景に近い。

 

この本を読むと必ず不気味さを感じると思います。でもどこか合理性を感じてしまうのはなぜでしょうか。

 

均一で安定した愛情を受けることで精神的に安定し、頭脳・肉体ともに優秀であることが証明されますし、虐待やネグレクト、貧困をはじめとした、「親ガチャ」「家族システムのエラー」による不公平なリスクを子供が背負わずに済むわけですから。

ものすごく合理的じゃないですか。

これこそ、犯罪のない全体の幸福につながるんじゃないかって。もしかしたら、幸せの一番の近道だったりして、とさえ思います。

 

でも、やはり、そんな世界でぼくは生きたいとは1mmも思えなくて、理由はみなさんが感じるソレ(違和感)と一緒です。それに、非合理で理不尽な「自然発生と自然淘汰」があってこその世界であるべきだと思ってしまうんです。

それが果たして全体の幸せにつながるかどうかは置いといて。

ただ、そんな世界で幸せを目指すことにロマンを感じるもので。

 

特に、自分が産んだ子、妻が産んだ子を持つ者がこの本を読むと、「こんな淡白な世界は嫌だ」となるはずです。

我が子かどうかもわからない子を育てることの違和感なんて計り知れないです。

 

読み応えのある本でした。