制限時間があるからこそ

生きている限り、時間の奴隷として過ごさざるをえないよな、と思ったりすることがあります。ましたやぼくらは知性を兼ね備えた生き物だから、余計にそう思わされる、と考えているのは自分だけでしょうか。それならそれでいいのですが。

 

プロジェクト、エンターテインメント、教育、趣味、この世の何もかもが時間を軸に進められているわけでありまして。なんてこと書いてますが、ここから深い話をするつもりは滅相もございやせん。

 

ただ、ふと思いついたことだけ綴っておきます。

「制限時間があるから何事も味が出る」と思ってます。

例えばお笑いなんかが良い例です。

 

番組名は伏せますが、制限時間内に与えられたお題について大喜利をしたり、ネタをぶち込んだりする系。あれって笑いが起こるのはシンプルに演者がおもしろく、センスがあるからなのは置いといて。

ただその一方で、「この限られた短い時間の中で思いついたネタにしてはおもしろい」という理由で笑っていることもあるんじゃないかなと密かに思ってたりします。

「妥協」と言うとどこか角が立ちますが、でもそれに近いニュアンス。

 

制限時間が比較的長い漫才やコントはどうか。仕込みの時間が長いです。

ただ、「ある程度の時間かけてこれか」と興醒めして、心の底から笑えない自分がいます。決してTVに出られるようなお笑いを自分なんかができるわけないのですが、ただ、いち視聴者の率直な感想としてはそんな感じ。

「演者の裏の努力」と「うまく笑えない自分」と差にひどく戸惑うことがあります。「時間をかけてこの笑いか」と、どうもマッチしません。あたかも演者を蔑んでいるような感覚に陥る自分が嫌で、漫才系の番組は基本見ません。

 

なんてズレた観点かもしれませんが、お笑いと時間の関係性を見ています。