卒アルの魔力

今日は日直で、一日のほとんどを事務室で過ごしました。

大した仕事はなく、基本的には自由に過ごせるので、ストレスはないです。手当も出るのでそれはそれでラッキー。

 

ただ、休日に学校を開放する意味はあるのかなぁとこれまでずっと思ってました。

だれのために、なんのために、と。

部活でしか用はないでしょ、と。

それならわざわざこうやって働かなくて済むのになと思ってました。

 

午前一回、午後に一回と学校を巡回するのですが、図書室横の学習室を見渡せば、生徒が多数、自習してました。

三年生だけではなく二年生も。

 

こういう子らのためにも休日開けてるのかなぁと思えば妙に納得。進学実績に貢献しているとなればなおさら。

家ではない、市の図書館ではない、塾ではない、学校というアットホームだけどメリハリがつけれる場が彼らにはマッチしてるのでしょう。空き時間は友人らとおしゃべりできますし。

休日の日直の継続を訴える教員の考えがわかり始めた本日。

 

そういえば事務室デスクの上に、卒アルが3冊置いてありました。

昨年と2年前と4年前という、中途半端な年度。

 

パラパラとめくると、知ってる顔と知らない顔が載ったバーと載った写真が出てきて、「歴史を感じるなぁ」とひとりエモーショナルに浸ってました。

 

生徒は誰一人わかりませんでしたが、非常に楽しそうな写真ばかりで、「めちゃ青春してんなっ!」と心が躍りました。教員も楽しそうでした。

 

でも、卒業アルバムってきっとこういうもんだと思います。「あのときは楽しかったよね」「この時に戻ってみたいよね」と、未来のどこかで思い返せるように工夫がされてるんだと思います。

 

もちろん、当時は楽しいことばかりじゃないのは自明で、教員との衝突、受験勉強の苦悩、人間関係のトラブルなどなど、ツライ要素もふんだんにあったに違いありません。

楽しそうにしてる教員も、いろんなツライ時間を過ごしたはず。

 

そういったものがすべてクロップされたのが卒業アルバムなんじゃないかなぁと、ロマンがない発想を展開したところで。

 

とはいえ、そんな卒アルでも、ぼくは好きです。時間ある時にでも母校の卒アルを開いてみようかしら。

 

最後に見たのはおそらくら2年前のいつか。

当時の自分を見て感じていたのは、「冬なのになんでワイシャツ姿なんだよ」「襟足長めはダセェぞ」「今はマッシュヘアが流行ってるみたい。アシメはちょっと違うっぽい」「ニキビは成長期だからしゃーないよね」「今の顔の方がイケてるぞ、心配すんな」「ラグビーやってたからちょっと肩幅広いね」「半袖ワイシャツの裾端をめくるのオシャレだったよね、今ぜんっぜん見ないよ」

くらいでしょうか。

 

そのほかで言ったら、「やっぱこの子はマドンナだな、アイドルかよ」「カッコいい顔して頭いいとかざけんなッ!」「仲違いしたアイツは今何してんだろ」「先生さんたちよ、ぼくも先生になったよ」とかとか。

 

 

まあ、とにもかくにも、年内のどっかでアルバムを開いてみるよ。

きっと、「久々に会いたいなぁ」となると思います。不思議なことに、当時あんまり話す機会がなかった人とも、なぜか自然に楽しく話せちゃうと思ってます。それは社交性の向上だろうな、きっと。

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