正しさが足かせになる

正しい言葉を使っているのに、時折疎外感のようなものを覚えます。

 

それこそこの間のブログにも書いた「妻」と「奥さん」の話にも通ずるのですが、自分視点から自分の伴侶について話すときは、「妻」と呼ぶのが正しくて、「奥さん」は他人の配偶者の敬称です。ちなみに「嫁」は夫の両親が息子の配偶者に対して使うのが正しいっぽいです。

 

それでも(少なくとも自分の周りの)大多数が「奥さん」や「嫁」と呼ぶので、頑なに「妻」を使っている自分に、たまにおかしさを感じます。

 

他にも、いくつか例を。

相殺は「そうさつ」ではなく「そうさい」

続柄は「ぞくがら」ではなく「つづきがら」

一段落は「ひとだんらく」ではなく「いちだんらく」

などなど。

 

これらの中には最近知ったものもあります。ただ、「え、そうなの!?気をつけよう」となる一方で、「でも、ほっとんどの人が間違った言い方してるしなぁ」と、あまり前向きになれない自分も。

 

それこそ、これまでずっと「ひとだんらく」と使っていたし、その響きの方がしっくりくるわけで、友人らとの会話や厳粛な会議で「いちだんらく」なんて意識的に使ったら、周りが内心「おや..?」となるに決まっています。

「おや..?」となった人よりかは、少なくとも読みに関しては自分の方が学があることは自明ですが、違和感を覚える人が多数になった瞬間、自分はマイノリティになり、「間違って使ってる人」扱いを不本意にも受けます。

 

正しさにこだわり過ぎると、時には損をすることもあるよねって話でした。

 

ま、「ここはこだわりたい」というものにだけ反応していきたいところです。

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