図書室に配架されていた内館さんの本を読みました。
目立つ黄色、強烈なタイトルに惹かれました。
戸山福太郎(85歳)は、代表取締役社長として働いていた株式会社雀躍堂(ゲームの製作販売会社)をとっくの昔に退職したが、妻の八重が亡くなった数年前から週に何度か出勤するようになりました。肩書は「経営戦略室長」 具体的な仕事という仕事はない。
そんな福太郎は、出勤したらしたらで、大昔の、自分が現役だった頃の自慢話ばかりをし、社員を無意識に困らせる。いわゆる老害というやつだ。
彼の仲間も昔話、趣味の講釈、病気自慢に孫自慢をする老害ばかり。
でも、周りの人たちは本心ではもう勘弁と思っているのに、老害集団のそういったことを拒絶できないでいます。ある日、福太郎の娘である明代が、福太郎本人に対して「もうやめてよ!」と怒りをぶちまけてから、物語が進んで行く、そんな内容。
印象深かったところだけを備忘録的にピックアップしよう。
孫の話を鬱陶しく思うシーンがあるのですが、言われてみれば確かになと。
友人と言えど、身内でもなけりゃ血がつながっていない孫の話は、聞かされたところで正直「だからなんだというのだ?」と思ってしまうのは無理もなくて、所詮は他人。
もちろん全く話に出すなと言うわけではないけど、「可愛さ」を四六時中熱弁されるのはきついです。でも、話している当人は聞き手の苦痛に気づけない。
たぶんこれは孫に限らず、子どもができても一緒のような気がします。
我が子の自慢話ばかりされてはたまったもんじゃない。
「わかったからわかったから」と内心感じている自分の存在も否めないわけで。
自分に子どもや孫ができても、可愛さを執拗に共有しないようにしたいと思いました。あくまで執拗に、です。自慢は身内だけにすることを徹底したいです。
そして、身内ではない人とそういう話になっても、「聞かれたことだけに答える」「あれもこれもと喋らない」ようにしたいなと。
あぁ、年を取ったなぁと感じる瞬間。
体が動かくなくなった、しわが増えた、トイレが近くなったとかいろいろあると思いますが、一番は「欲がなくなること」と女性が話すシーンがありました。
「若いときは、海外旅行がしたい、お金が欲しい、雑誌に出ていた服がほしい、すてきな人と出会いたい(中略)でも何十年かたった時、ふと気づいたの。今の私はどれも欲しくないって。何であんなに欲があったんだろうね。あの時、若い時代は遠くに遠くに・・行ったんだと思った」
年を取るって、内面ではこういうことらしい。
「あれも欲しい」「これも欲しい」「もっと欲しい」「これがしたい」「あれもしたい」が健在なアラサーの自分。実現できているかどうかは置いといて。
こんな欲が減少し始めたとき、自分は年を取ったんだと自覚するのかもしれません。
外見の若作りは食生活や日々の運動でなんとかするとして、内面の老いにどう対処していくかが今後の自分の課題ですね。年齢を重ねても、欲はギラギラさせていたいものです。