隔年で占ってもらうぼくの習性

スピリチュアル的なことに胡散臭さを感じながらも、数年に1回、3千円ほど身銭をきって占い師に占ってもらっています。

 

ぼくが占いを最初にしてもらったのは、大学3年生の冬。

 

部活の旅行で横浜方面に行きました。

横浜と言えば、中華街、中華街と言えば占い、占いと言えば手相占い、とマジカルバナナ的な思考で、部員何人かと、引き寄せられるかのように「よく当たる手相占い師」のもとへ。

 

統計学とかコールドリーディングとかがベースになっているとはいえ、自分の知っていることを言い当てられるとテンションが上がるもんで。

 

その2年後にも手相占いを。

今度は大学院生のときに長野で。

ゼミ生2人を連れて、これも「よく当たる手相占い師」のもとへ。

 

そして4年後の今日は、手相占いではなく、あえて「数秘占い」をしてもらいました。生年月日や姓名を数に置き換え、特定の計算方法によって算出したパーソナルな数字からその人を分析する、そんな占いというか、分析学。

 

ぼくがこうやって占いをしてもらうのは、「メンタルのリセット」のためな気がします。何かに自信がないとき、迷っているとき、不安なとき、そういったときに使うようにしています。もちろん、不安のない日なんてないわけで、毎日、取るに足らない小さなことから人生レベルの大きな不安に駆られています。あ、自分が精神疾患に苦しんでいるという意味ではなくてですね。

 

今回の数秘術でもわかったのですが、基本、どんな占いをされても、ぼくは「あなたいいね」「これはなかなかすごい」と褒められます。マイナスな結果は本当に出なくて、基本褒めちぎられる。そして、占いの結果も、手相だろうがナンバーだろうが、基本的には内容は一緒で、良いものばかり。

それが占い師の商売だと言われればそれまでですが、占う相手によっては占い師の方も「このままじゃまずいね」「あなたこの職業向いてないね」と辛辣なコメントをしますし、この目で確認もしています。

それを踏まえたうえで、自分はまあまあ稀有な存在なんじゃないかということがなんとなくわかります。

 

凡人がもっていない能力「占術」、血液型占いのような表面的なものより尖がっていることから判断するに一つの専門職だとぼくは思っていますが、そういった方々に褒められるために、「君は自分らしく生きてれば大丈夫」という言葉をもらうために、ぼくは定期的に占ってもらっているだと自覚しています。

 

必ず褒められるとわかっているので。

自信のつかないものにわざわざ行きませんし。

 

ただ、結果は毎回一緒なのにも関わらず、それでも通う不思議さ。

 

「人生大丈夫」とわかっていても「大丈夫」と言われたい。

同僚、友達、恩師、家族とはまた違った距離感の存在の人から言われる「大丈夫」は案外頼りにできます。

 

もちろん、自分がスピリチュアル的な何かに目覚めたわけでもなくて、昔からそういう考え方の人なんだよって話です。

 

まあ、神社のおみくじを引くような感覚に近いです。100%信じ切っていないし、「なんかそう言われるとうれしい、頑張っちゃおうかな~」程度に捉えてます。非合理的な人間らしく、自分なりに考えてこれからも生きていきます。

 

なんて書いてますが、おみくじはもう長らく引いてません。

あれこそ、「おいおいそんなのを信じるかのか」とついつい思ってしまうので。

そこは意外と冷静です。

数秘術写真素材、ロイヤリティフリー数秘術画像|Depositphotos