高校生と教員の考査期間に対する思い

明後日から中間考査が始まります。

 

自分の担当教科の問題用紙、解答用紙、解答を完成させ、すでに学校補助員の方に印刷もお願いしてあります。なんなら退勤前に印刷室に行ったらすでに印刷も終わっていました。仕事が驚くほど早いです。

そして日々、本当にその方の業務補助に助けられています。感謝しかありません。

 

明日にでも考査専用の試験封筒に入れ、当日を待つのみ。

 

ミスがないように、何度も確認しました。もう一人の英語科の先生にもザーッとチェックしてもらいました。ので、少なくとも「大きなミス」で当日てんやわんやすることはないと信じたいです。

 

高校生の頃と高校教員としての考査期間は全く違います。

 

高校生の頃、ぼくは考査期間がなんとなく好きじゃなかったです。

午前でテストが終わるため、午後は学校に残る人は残り、帰る人は帰る。というか今思ったのですが、直帰してるわけではなくて、ファミレスなんかに寄り道して、友達で固まって勉強していたんでしょうかね、ポテトなんかをつまみながら。

 

話は戻って。

 

学校がもぬけの殻、とまではいきませんが、校内に残る生徒はかなり少なくなります。人混みは嫌いですが、学校の雑踏は好きだったのかもしれませんね。

考査期間のあの時間の流れ、あの静かな空間が、なんだろうまく言語化できませんが、世界に一人取り残されたような気がして、風景もモノクロで、引くほどつまらない非日常的で、受け付けることができませんでした。

早く終われよと思っていました。

 

高校教員となった今、逆です。

 

この日々が可能な限り続くといいのになと思います。

 

テストを作成するのはなかなかの神経を使うのでウェルカムではありませんが、考査期間中は午前で学校が終わりますし、会議さえなければ年休も使いまくれます。

考査初日から午後は年休を取り、美容院行ったのち直帰して、家でゆっくりする予定です。

 

高校生の頃に味わっていた非日常が、教員になってからだと逆に心地いい。これはこれで不思議な感じがしますね。日常の忙しいというか、何かに追われている状況から一時的に解放されるのが好きなんだと思います。

 

このメンタルのギャップから考えさせられることは、「もっとリラックスして日常を送れるよう工夫が必要だ」ということです。精進しなくちゃですね。

 

「考査」は高校の風物詩です、季節は関係ないですが。

 

ただ、こういった大きなテスト、つまり考査が、必ずしも子どもたちの学力とか将来の幸せに直結しているかと問われれば、個人的には答えはNOで、根本的に見直す必要があるよねと思います。学力について言えば、日常的に小テストをやって、「できない」「わからない」を徹底的に潰していった方が合理的だと思ってます。

定期考査に変わるものに、業者テスト(模試)を設ければいいのに、と。

 

ぼくはそんな感じです。