合理的なもらってうれしいもの

送別会などでもらう寄せ書きについて思うことをば。

 

ぼく自身、寄せ書きを最後にもらったのは大学での部活の追いコンにて、だったはず。高校や中学でも貰いましたが、学生時代に貰うのは、それはそれは嬉しいもので。

みんなの思いが詰まったものですし、何より形として残っている感じが好きでした。

 

でも大学生以降、寄せ書きにあまり魅力を感じなくなりました。幸いにも、大学院生や社会人になってからはもらうことはなくなりました。

 

作る側に回ったことはあります。もちろんぼくからの提案ではなく。

 

ぼくは「寄せ書きって要るのかしら?」と思うようになった人間でして、「メッセージなら個人的な手紙でよくない?」と思ってしまいます。寄せ書きだとどうしても文字数制限等の関係で、当たり障りのない内容しか書けない、深い内容が書けないというエラーが生じます。それに、貰ったことがある経験者から言わせてもらえば、「おそらくこの子、ぼくに対して書くことないけど一生懸命書いたんだろうなぁ」「これといったエピソードがないから無理やり書いたんだろうなぁ」と感じる瞬間は不可避で、お互いにマイナスの要素が生まれちゃうよねというのは物心ついたころから気づいてました。

 

「みんなで書こう!」というあの同調圧力や、親切じゃないあの感じが苦手で。

「(心の底から)書きたい人が書く」という流れがそこにはないので、受け取る側からしたらちょっと申し訳ないです。「自分のために時間とらせて悪いな」と。

 

また、個人的には、寄せ書きのような色紙はどうしてもかさばる、ゆえに、保管に困ります。個人的な手紙でないのなら、極端かもしれませんがデータでお願いします、と内心思っていて。それこそLINEでのメッセージ、動画とかならいいなぁと思っていたりいなかったり。

 

でも例外はあって、写真の裏面に書かれた寄せ書きはオシャレだなとは思います。それは貰ってうれしいかもしれません。

 

なんていうものすごく面倒くさい考え方してます。

分かってくれる人は少数いるとは思いますが。

 

それで言ったら、引き出し物とか誕プレもそう。

 

相手が何を欲しているかわからない中で、無難な皿とかコップとか電化製品を送るより、カタログギフトをポンと送ったほうがものすごく合理的だと思います。好きなものを選べるって最高じゃないですか。

たしかに、形あるものを貰った瞬間はうれしいのですが、帰宅後だったり、素に戻ったときに、「うーん..」という微妙な感情になるのは事実でありまして。

体裁を整えるためとか、慣例主義だからとか、その場を盛り上げるためにとか、そういったものを排除して、相手が喜ぶことを本気で考えたら(相手が本当に欲しいものが不明な状況のみ)、カタログギフトしか勝たんとさえ思ってます。もちろん一番は現金ですが。

人との関係性にも依るので、一概には言えませんが。

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