あの頃の成人式を思い出す

祝日の今日は成人の日みたいですね。

 

大学2年生の頃、それこそ海外渡航するちょうど2カ月前に、成人式のために地元に帰省するか否かを、そこそこ悩んだのを思い出します。

 

当時はまだ内面がガキだったこともあり、「なんでわざわざ中学の頃の同級生に会わないといけないんだろうか」と本気で思っていました。高校生の頃に終えたはずの反抗期がなぜか芽生えました。

まあ、今思えば、ただただ地元の友人に会うのが恥ずかしかっただけだと思います。中学を卒業し、高校に入学して以降、ほとんどの人とは会って話すことがありませんでしたし。どういうキャラで、どういう接し方でいこうかという困惑。久しぶりに会う同級生に気持ちが高揚し、はしゃぐ自分ってダサいよねという偏った考え。

いろんなものが心の中で交錯してました。

 

あと、あれだ。

 

「まだ何者にもなっていない自分がどのツラ下げて会えばいいのだろう」という、小心者なりのプライドが邪魔していたんだと思います。

 

大学も決して威張れるところじゃない。

カナダ渡航前で英語もろくに話せない。

特に「すげぇ!」となる資格・功績がない。

熱く語れる将来の夢がない。

 

すべてにおいて「ないないだらけ」で、つまんない自分が出向く必要性を感じなかったんだと思います。何者でもないことがコンプレックスでした。

かといって、高校教員として働いている今も、何者でもないと思っていて、変わらずつまんない自分のままです。それでも昔よりかは肩書といいますか、箔がついたといいますか、ちょっと味の残っているガム程度にはなれたのかなとは思ってます。

 

弱冠二十歳の当時の自分は、いろいろ考えて、なんだかんだで成人式とそのあとの二次会にも参加しました。

行った理由。「もしかしたら、もう会えなくなる人も中にはいるのだろう」という思いが勝ったからだと思います。ほら、こういう同窓会って40~50代にもう一度開かれるのが典型ですが、その頃にはもうこの世に存在していないこともあります、自分も含めてね。あと、超有名になり過ぎて同窓会どころじゃない人もいるかもしれません。

そういう予想がよぎり、「それなら行かねば」となったはず。

結果的に行って良かったと思ってます。楽しむことができましたし。

 

 

成人式以降の帰省では、地元の人と会うことはほとんどなかったと思います。「帰ったから飯行こうぜ!」と自分から誘うこともほとんどなかったはずです。

3、4年前に書いたブログの内容に通するのですが、「旧友との人間関係ってワインの熟成」みたいなもんだと思っていて、会わない分だけどんどんお互いの中身が味わい深いものになって、溜めて溜めてやっとこさ会って話したときの感動が最高だよねって密かに思ってます。

なんてキザなこと書いてますが、きっと「何者でもない自分へのコンプレックス」も大きな要因だったなと冷静に分析してます。

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