8年前の教育実習、多大な迷惑と懺悔

中学校実習のときの思い出が不意にフラッシュバック。

 

最初で最後の教育実習は大学4年生のとき。たった1回の実習で高校一種も取得する方法が、中学校で3週間の教育実習をすることでした。高校のみの教育実習だと中学の免許は取れない、そんな規定があったはず。

当時は中学校教諭志望だったので迷わず中学校実習へ。「へぇ、高校も取れるんだ」というオマケ感にちょっと得した気分でした。

 

 

大学時代に、カナダでワーホリ経験、ニュージーランドでTESOLを取得していたので、生意気にも、教科指導に対しては「英語の実習なんて余裕でしょ」と思ってました。「自分が教わってきたことをすればいい」という感じ。「いろんな経験をこっちは積んでんだ、なんてこたぁない、楽しもう」と。

 

 

「教科の指導教官のアドバイスを取り入れつつも、基本的には我が道を行く」そんな風に過ごしてました。「だって自分はそれなりに英語が喋れるのだから」という身勝手な自負と相手のことを気遣えない幼い思考回路。怒られない程度に我流を貫いているつもりでしたが、自分の振る舞いを改めて振り返れば、きっとその先生は静かに自分にイライラしていたと思います。

極めつけは指導計画だ。研究授業の指導計画はなんと当日の朝完成で、ギリギリに出来上がりました。自分の計画性の無さによる失態。それでも怒られはしませんでしたが、顔が笑っていなかったのは今でも思い出すだけで鼓動が早くなります。実習最終日のあいさつでは素っ気なさを感じましたが、お互いの関係は良好じゃなかったのでしょうね..。

 

あのときは気にも留めてませんでしたが、冷静に断片的な情報をつなぎ合わせると、「育休明け」「時短勤務」「子どもの保育園の送迎」「子育てと仕事の両立」があの先生にはありました。本当、迷惑をかけたなぁと今更猛省しています。

 

 

担任の指導教官には、道徳で迷惑をかけたと思います。

 

オリジナリティを出したくて、「1枚の絵から想起できることを班活動でシェア」みたいなそんな授業をしたと思います。授業中の雰囲気としては好感触でした。1回目の授業後のリフレクションで、「2回目は教科書に絡めた内容でやってみよう」とアドバイスを受けました。もともと予定してなかった2回目の道徳。なんでだろう。

 

その先生としては、「教科書でふううの授業をしてごらん」的な意味だったそうなのですが、ここでも我流が発動。2回目の道徳でも、「教科書に絡めた内容で、1枚の絵から想起できること班活動でシェア」という授業をしました。

 

 

実習最終日ののリフレクションでは、「個人的には教科書でやってほしかったなぁ」と言われ、「あ、そういうことか」とそこで意図を理解しました。教科書という型にハマりたくなさすぎてオリジナリティを優先した自分、そして若さゆえの無礼な自分、本当青いし恥ずかしくなる。

 

 

別の意味で、あの実習期間には戻りたくありません。